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天空の城の麓に佇む、古の城下町を歩く<朝来市和田山町竹田>(Vol.103/2017年7月発行)

天空の城「竹田城跡」を仰ぎ見る城下町
土塀、格子、虫籠窓、うだつの上がった町家
茶色味がかった石積みのまち並みを歩く

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天空の城の麓に佇む、古の城下町を歩く<朝来市和田山町竹田>

 「天空の城」として、全国区となった竹田城跡。その魅力はなんといっても南北400メートル、東西100メートルに完存する総石垣造りの遺構。関ヶ原の戦いの後、廃城になったことにより、戦国期の山城の姿を今に残すことになった。
 麓にはかつての城下町が広がる。江戸期に2回、明治期に1回、大火に見舞われた竹田の町には昔の記録がほとんど残されていないが、大軍の侵入を防ぐクランクなど往時の面影を見ることができる。
 「廃城後は姫路・生野と和田山から京都を結ぶ但馬街道の宿場町として発展してきました。土塀や格子戸、うだつの上がった家など、古いまち並みは今も健在ですよ」と話すのは、和田山観光ボランティアガイドの上山哲生会長。
 上山さんの案内で、竹田地区コミュニティーセンターの駐車場から裏路地探険をスタート。ここは竹田地区の中心地。かつて役場庁舎や朝来郡公会堂、郡畜産組合事務所などがあった。モダンな官舎だった建物が今も残っている。
 ここから円山川に向かって路地を歩くと、堤防沿いの道へと繋がる。春は桜、夏は緑の並木が続き、爽やかな川風が吹き抜けて心地よい。
 堤防の道から諏訪橋を左手に曲がると、クランク状の道路、そして、旧街道が南北に延びる。線路と並行して家々が軒を並べ、「加都石」と言われる茶色味がかった石積みは竹田のまち並みの特徴だ。
 観音町・米屋町・殿町など9つの小字に分かれ、大正年間までは旅館、料理屋、茶屋などの商店が連なり、漆器、家具を生業とする店も多かったと言う。
 「古い石橋が多いのも竹田ならでは。但馬にある江戸期の石橋7つの内、5つが竹田に集中しているんですよ」と、上山さん。
 宝永5年(1708)に造られた「恵比寿橋」は但馬最古の石橋。以前は街道筋に架けられていたが、昭和5年に現在地に移設された。
 この橋の下を流れる水路もぜひ見てほしい場所のひとつ。水はけがよくなかった竹田町内には、文政7年(1824)に水路が造られたが、ここから水が分かれ、約580メートル先の下町まで流れている。堰を設けることなく、勾配だけで左右に水が分かれる様子は、先人の技術の高さに感心する。
 城のふもと側へと流れる水路は、松並木が美しい寺町通りへと続く。かつての武家屋敷跡であり、4つの寺院が移設され、竹田城下町を象徴する景観だ。歴代城主の墓や供養塔、居館跡があり、鯉が泳ぐ水路と相まって趣深い。
 近年では観光客の増加に伴い、古い町家を活用した宿泊・食事・休憩施設がオープンし、新たな町の魅力となっている。のんびりとした時間が流れる竹田城下町。竹田ならではの風情や歴史の足跡を感じることができた。

白壁の蔵と石積みのコントラストが美しいまちなみ

駅から竹田地区コミュニティーセンターに延びる路地。旧街道沿いの表通りには、町家を活用したカフェや食事処、土産処などが点在している。

旧木村酒造場「EN」

旧木村酒造場の建物をリノベートした「EN」は、ホテル、レストラン、カフェとして平成25年秋にオープンした。「情報館 天空の城」では竹田城跡の鳥瞰模型や映像コーナーがあり、竹田の歴史を紹介している。
情報館 天空の城 TEL.079-674-2120

江戸時代の石橋

但馬で確認されている江戸時代の石橋7つの内、5つが竹田に集中している。旧恵比寿橋は、宝永元年(1704)、若松屋久右衛門が3年かけて石材を集め、自費により宝永5年に街道に架けられた石橋である。

西国三十三所巡りの石仏

赤松広秀公の居館跡・供養塔に続く西国三十三所巡りの石仏。登山道から移設されたもので、安寧を願って建立されたのではないかと伝わる。

相撲桟敷

表米神社には全国的にも例が少ない半円形に6段の石積みがされた「相撲桟敷」が残る。

寺町通り

竹田城下町のメインスポットである、4つの寺院が建ち並ぶ寺町通り。鯉が泳ぐ水路には、それぞれの寺院に石橋が架けられ、竹田独特の風情を醸し出している。

赤松広秀公の居館跡

法樹寺の裏手に残る赤松広秀公の居館跡。城主は平時、山城ではなく、麓の居館で政務を行っていた。城跡と同じく、自然石を積み上げた「野面(のづら)積み」で、これは安土城と同じ技法である。