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小田井縣神社周辺を歩く<豊岡市小田井町>(Vol.105/2018年3月発行)

但馬五社・小田井縣神社と柳之宮神社
職人の粋な意匠が目を引く復興建築群
豊岡の地場産業の歴史を辿る通り

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小田井縣神社周辺を歩く<豊岡市小田井町>

 但馬五社の一社、霊験あらたかな古社として知られる豊岡市街地に鎮座する「小田井縣神社」。毎年8月1日から2日にかけて行われる但馬三大祭りの一つ「豊岡柳まつり」は、当社境内に鎮座する「柳之宮」の例大祭である。
 祭りは、小田井縣神社の移築に伴って再建されたのを機に、京都の祇園祭や大阪の天神祭などを参考に、昭和10年に始まった。地場産業である豊岡杞柳細工が繁栄してきたことに感謝し、鞄産業の発展を祈願して、80年以上に渡って盛大に開催されている。
 江戸時代、豊岡藩主の奨励のもと、円山川の湿地帯にコリヤナギを栽培、その製品は「豊岡の柳行李」として全国に知れ渡った。
 明治時代以降、生活様式の変化とともに、柳行李からファイバー鞄、塩化ビニール鞄などに変化していったが、現在では優れた製品をブランド化し、「豊岡の鞄」として全国に展開している。
 神社の南側に位置する旧道沿いには、かつて柳行李に関する商店などが建ち並んでいた。今でも当時を思わせる商店が残っている。
 中でも、緑青の味わいが見事な銅板張りの建物が、ひと際目を引く。近くでよく見ると、きめ細やかな細工が随所に施され、趣のある佇まいを見せる。
 「私は勝手に神戸ならぬ『豊岡のうろこの家』と呼んでいます。大正14年に起きた北但大震災の後、震災に強いまちを目指し、官公庁を始め、一般住宅にも鉄筋コンクリート造の建物が建てられて近代的なまち並みが整備されました。木造の建物にも銅板やモルタル、タイルが張られ、こうした震災復興建築群が、今でも市街地の大開、宵田通りなどに数多く残っているんですよ」とは、豊岡まちなみ連盟の松井敬代さん。
 銅板張りの建物の周囲には、和洋折衷のデザインや洒落たレリーフなど、随所に職人の遊び心が垣間見える意匠が凝らされており、まち歩きをより楽しくさせてくれる。
 その他にも、奇跡の復活を遂げた「豊岡劇場」や、文政7年(1824)創業の鞄メーカー、昭和初期建築の銀行をリノベーションした医院など、趣のある建物が今でも現役で利活用されているのがうれしい。
 大きな被害を受けた震災から立ち上がり、昭和初期に次々と建てられた復興建築群を眺めながら、小田井縣神社までぶらりと歩く。
 普段何気なく歩いているまちなみも、少し目線を変えれば、新しい発見の連続であった。

小田井縣神社

小田井縣神社は式内神社で、国作大己貴(くにつくりおおなむち)命を祭神に祀っている。昭和になってから、円山川改修工事で移転や境内の改築が行われ、現在に至っている。

CINEMACTION豊劇 − 豊岡劇場

平成24年3月末に閉館したが、2年後に奇跡の復活を遂げた「CINEMACTION豊劇 − 豊岡劇場」。再開後は映画上映だけではなく、映画館を利用した新しい「場」として生まれ変わった。イベントホールの他、ロビーにはCAFE & BARも開設。人が集える出会いの空間、コミュニティ拠点として、地域に欠かせない場所となっている。

柳之宮

小田井縣神社の参道だった旧街道は柳行李の商店で賑わい、昭和10年、その繁栄に感謝して「柳之宮」が再建された。社には柳行李が奉納されている。

北但大震災後の建造物

北但大震災後、民間にも鉄筋コンクリート店舗兼用住宅が建てられるよう県から補助金が支給された。48件が申請され、元町地区には3件が残っている。

防火対策を施した復興建築

大正14年の北但大震災は昼時ということもあり、火災の被害も多かった。官公庁をはじめ、店舗兼住宅にも防火対策を施した復興建築が建てられた。