急斜面に家々や棚田が立ち並ぶ柤岡地区
絶景が広がる村は下界とはまるで別世界
夏の涼しい風を感じて「天空の村」を歩く
国道9号を鳥取方面へ、春来トンネルの手前を左折し、つづら折りの上り坂を一気に駆け上がると、急斜面に家々が建ち並ぶ集落が思いがけなく視界に飛び込んでくる。
標高は500メートル、大峰山の中腹に位置する柤岡地区は、地すべりが起きた地形に住居や棚田が広がり、「天空の村」と呼ばれる但馬の秘境だ。南側にあり、陽当たりは良好。眺望は開け、山々の尾根が広がる光景はまさに絶景だ。
「初めて訪れた方はよくこんな場所に人が住んでいると驚かれることが大半です。縄文時代の土器が発見されていることから、古くから人が住み着いていたんですよ」とは、案内役の田中眞德区長。
西側には中世の山城、柤岡城があり、「御城林」と呼ばれる場所や「大門」という地名が残り、その頃から現在の集落の形が造られていったと考えられている。
集落には平地がほとんどない。斜面に段々と建物が並び、それらを縫うように路地が張り巡らされてまるで迷路のよう。隣家を行き来するにも高低差があり、足腰が鍛えらることは間違いなしだ。
傾斜地にありながら、最盛期には140戸が居住し、集落の麓にあった小学校には、130人ほどの児童が通っていたというから驚きだ。診療所もあったといい、町内でも大きな村だった。
村の産業を主に支えたのは、農業と但馬牛、冬の出稼ぎでの酒造り。集落の西側へ2キロほど行った場所は、「山田」と呼ばれる棚田が広がり、さらにその奥には但馬牛の牧草地がある。少し距離があるため、朝4時半にお弁当を持って畑仕事に出かけると、日没までの1日を過ごしたそうだ。
「土蔵を持った家が多く、かなり裕福な村だったと思います。北側には「柤大池」があり、湧き水も豊富なことから、現在も全国米・食味分析鑑定コンクールで金賞を受賞するほどお米が美味しいです」と、田中区長は話す。
かつては村の3分の1が生産するほど「わさび」が名産だったこともあり、この地の水のよさを表すエピソードといえる。
夏は涼しく、秋には鮮やかな紅葉で彩られる柤岡。冬場は但馬でも屈指の豪雪地帯として知られ、積雪は2メートルを超えることもある。除雪車が入れない路地は昔から集落の人々が協力して雪かきをしたという。「今年は屋根の雪下ろしをしなくてよかった」と、岸本典明副区長は笑って話す。
田んぼ仕事が一段落するお盆には盆踊りの余興として町の文化財に指定される「芸おどり」が踊られる。かつては村芝居も盛んに行われ、集落の親睦を図っていた。自然と寄り添い、互いに協力し合って生きてきた柤岡の人々。美味しい空気と水、遠く広がる絶景が穏やかな心を育んだのかも知れない。
緩傾斜地に住居や田畑が造られている柤岡の集落。陽当たりがとてもよく、但馬の尾根を見渡す眺望は、まさに「天空の村」といえる。集落の西側には、中村氏が城主を務めた中世の山城である柤岡城があったが、羽柴秀吉軍により落城したと伝わる。秀吉が因幡攻めに向かう際、喉の渇きを潤したという「太閤清水」の伝承が残る。
Uターンした青年が夫婦で営む「JINEN AN」は、手作りの石窯で焼く天然酵母のピッツァが自慢のお店。地元の野菜や山菜、ジビエなどを使ったピッツァを求めて、京阪神からも訪れる。高台にあり、絶景を眺めがらの食事も最高。
集落の東側、入り口に当たる場所には「六地蔵」が置かれている。旧街道と思われる墓地へと続く道には、旅人が休憩した「辻堂」が建てられている。辻堂の中には昔、葬礼の際に使われた古い道具が残されている。
過疎化が進む地域にあって、村おこしのため有志が集った「柤岡あけぼの会」のメンバーが40年かけて整備してきた「柤大池公園」。バンガローやキャンプサイトがあり、大自然を満喫できる。
集落の中心には火除けの神様である「愛宕山神」が祀られている。
集落の家々にはそれぞれ立派な石垣が組まれている。
地すべり地形のため湧水も豊富で、地下水を排水する防災用の集水井が3ヶ所設置されている。
香美町指定文化財の「芸おどり」は、盆踊りの余興として、公会堂前で踊られる。歌舞伎に由来するとされ、太刀などを振り回しながら舞う独特の踊り。公会堂は木戸や花道などの舞台機能も備えている。
どんと焼き、節句参り、秋祭りなど、年中行事が行われる。