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ざんざか踊りの里を歩く<朝来市和田山町寺内>(Vol.113/2020年11月発行)

ザンザカ ザットウと響く太鼓のお囃子
由緒ある神社仏閣、江戸時代の陣屋跡
歴史と文化が今も息づく農村を歩く

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ざんざか踊りの里を歩く<朝来市和田山町寺内>

 「ザンザカ ザットウ」の古式ゆかしい太鼓の囃子で有名な「ざんざか踊り」が、今も舞い踊られている朝来市和田山町寺内地区。
 集落の歴史は古く、氏神のひとつである「更杵神社」は、持統天皇4年(690)に創建されたと伝わる古社である。その昔、但馬の地には、気多軍団と養父軍団の2つの兵団が強い勢力を誇っており、養父軍団(更杵軍団)の本拠地として栄えたという。そのため、兵主神がお祀りされている。
 「社殿はこじんまりとしていますが、更杵村大兵主神社と呼ばれ、由緒正しい式内社なんですよ」とは、案内役の下村清さん。
 かつては集落の南側にある山腹にあったとされ、現在地に移された。周辺では古代の出土品が発掘されており、この地に一大勢力があったことをうかがい知れる。
 神社の南隣にある「和田山郷土歴史館」は、寺内ざんざか踊の貴重な資料や農家の昔の暮らしを伝える民具などを展示している資料館。敷地は旧寺内小学校等の跡地であり、江戸時代は「糸井京極陣屋」が置かれていた場所である。
 陣屋とは領主の住居及び役所で、豊岡京極家からの分家として、初代・高門が移封されたことが始まり。8代・高朗は幕府の旗本として外国掛に任命されるなど、数々の要職に就いた人物で、文久元年(1862)には、ヨーロッパへ最初に派遣された遣欧使節団の目付として海を渡った。
 現在、陣屋の面影を伝える遺構として陣屋門や石垣が残り、往時の様子を偲ぶことができる。
 郷土歴史館を後に集落を旧道沿いに歩いて行くと、お地蔵さんや石碑が出迎えてくれる。
 以前は農業と養蚕が主要産業だったこともあり、養蚕農家の趣を残す民家も数軒見られ、のどかな雰囲気を醸し出している。
 集落を北東に進むと、ざんざか踊りが奉納される山王神社の石段が見えてくる。但馬では5カ所で踊られているが、寺内は7月の第3日曜と一番早く、山王権現の使者である猿の装いで、腰の太鼓を叩きながら輪になって踊る。
 「いつ始まったかは分かっていませんが、神社に隣接する別当寺『光福寺』と関わりが深いことから、同寺の開山(江戸初期)からと考えられています。古式豊かで優雅な踊りと評価されています」と、若き日は踊り手、今は音頭方として、伝統を支える下村さんは話す。
 糸井京極家の菩提寺である「光福寺」は、徳川家ゆかりの古刹。二世住職・単心和尚の養母は、三代将軍・家光の側室だった芳心院(お琴の方)であり、現在地に再建された際には京極家の他、徳川家からも莫大な寄進があったそうだ。
 歴史と文化が息づく寺内。歴史の秘話を聞くことで、また違ったまちの魅力を感じることができた。

山王神社

「寺内ざんざか踊」が奉納される山王神社。正式には「佐伎都比古阿流知命神社」といい、祭神は但馬開拓の祖である「天日槍命」の妻の父神にあたる。山王権現の使いである「狛猿」が両脇に守護しており、灯篭や社殿の木彫にも猿が彫られ、愛くるしい表情が特徴的。別当寺である「光福寺」が徳川家ゆかりなことから、梁には三つ葉葵の紋が見られる。

寺内ざんざか踊

兵庫県の無形民俗文化財に指定されている「寺内ざんざか踊」。7月の第3日曜日、子孫の繁栄と五穀豊穣・天下泰平を祈願して、奉納される。「ザンザカザットウ」という太鼓の囃子から、雨乞いの行事ともいわれている。

陣屋門と石垣

朝来市和田山郷土歴史館の敷地は江戸時代に京極家の陣屋があった場所で、明治維新後、学校用地として払い下げられ、小学校や幼稚園として活用された。現在は、陣屋門と石垣が残り、当時の面影をとどめている。

高台に佇む「法輪山 光福寺」

江戸初期の元和年間に経谷山の麓にあった小庵が開基とされる。二世・単心和尚の養母が徳川家光の側室だったことから、徳川家との縁が深い。十一世・越渓守謙は、幕末に勝海舟や山岡鉄舟ほか、数多くの志士と交流を持ち、後に京都・妙心寺の管長を務めた。

朝来市和田山郷土歴史館

寺内ざんざか踊や農家の暮らしを伝える民具などを展示している「朝来市和田山郷土歴史館」。敷地内には但馬最大の前方後円墳として知られる池田古墳のミニチュアや、秋葉山古墳群から出土した石棺3基がある。開館日は土・日曜(9時30分〜16時30分)で、入館無料。※12/28〜1/4は休館

芳心院の位牌

光福寺に安置されている三代将軍・家光の側室だった芳心院の位牌。裏面には現在の価値で約1億円の寄進があったと彫られている。

左手で指をさして道案内する道標地蔵

裏山の傾斜面を利用した光福寺の庭園

東西約40メートルある池泉観賞式庭園で、三十三観音の石仏が安置されている。