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養父市唯一の侍のまち 大藪を歩く<養父市大藪>(Vol.115/2021年6月発行)

まるで迷路!クモの巣のような路地。
北近畿最大級の古墳を有する古墳群。
養父市唯一の侍のまち大薮を歩く。

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養父市唯一の侍のまち 大藪を歩く<養父市大藪>

  「養父」の地名のルーツのひとつと言われている養父市大薮。円山川沿いの県道104号右岸道路から千石橋の交差点を北東へ。ズドンと伸びるまっすぐな道の先にあるのが大薮地区だ。集落へ入っていくと細い路地が迷路のように入り組んでいる。
 「外の地区から来た人はみんな『迷った』と言ってますね」と笑うのは区長の平山久伸さん。大薮は扇状地に形成された集落で、山地から平地へと流れる川によってできた三角形の土地に民家が立ち並ぶ。まちの中心を流れる大薮川沿いに、外へ外へと家屋を建てながら発展してきたため、クモの巣のように路地が広がるまち並みができあがった。
 壁に柱が塗り込められた大壁、掃き出し窓、抜気と呼ばれる越屋根など、養蚕農家の特徴を持った家屋。左官職人が漆喰で作り上げるこて絵、袖うだつなど、昔ながらの趣を持った佇まいが残っている。
 「昔はこの川で鮎をとっていたんですよ」と平山さん。昭和30年代には、集落を流れる大薮川に円山川から鮎が上がってきていたそうだ。
 大薮には江戸時代に旗本小出家の陣屋が設置されていた。
 「ここは養父市で唯一、侍が住んでいた場所なんです」とは同市教育委員会の谷本進さん。陣屋跡は大薮公民館の北側の一角にあり、現在は民家となっているが、東西約80メートル、南北約150メートルほどの規模だったと推測されている。
 陣屋跡だった場所を過ぎ、山すその泉光寺へと歩を進める。扇状地の頂点に佇む泉光寺は旗本小出家の菩提寺で、第2代当主・小出英輝によって建立された。寺へと続くゆるやかな階段の道には見どころが多く、英輝夫人の菩提寺であった妙法寺のお堂、八鹿瓦を使った地蔵堂、代官を務めた大島家・森島家の墓所などを見ることができる。
 寺への階段を登ると堂々たる構えの鐘楼門がお出迎え。鐘楼門をはじめ、境内の円通堂・水天宮は県の登録有形文化財に指定されている。
 「お寺からは大薮の集落を見渡すことができますよ」と教えてくれたのは副区長の堀井憲一さん。門の脇からは円山川の向こうの山まで一望でき、見晴らしがよく開放感抜群だった。
 また、大薮は約150基もの古墳を有する古墳群のまちとしても知られている。中でも禁裡塚古墳、塚山古墳、西ノ岡古墳、こうもり塚古墳の4基は県の文化財に指定されている貴重なものだ。特に禁裡塚古墳は北近畿地域でも最大規模の横穴式石室を持つ古墳として注目されている。
 「禁裡塚古墳は、歴史ファンの間では奈良の石舞台古墳と同じくらいの価値があると評価されています」と谷本さん。懐中電灯を片手に石室の中を進むと、壁に積まれた巨石と高い天井が目に入ってきた。想像以上に中は広い。人よりも大きな石を1400年以上も前の人々が積み上げたことに改めて驚く。古代の但馬に高い土木技術が存在していたことを体感できる場所だ。
 「薮」の文字を辞書でひくと「多くのものごとが集まるところ」とのこと。古墳や陣屋など、古くから人や物の集まる中心地だったこともうなずける。旅の好奇心をかきたてる迷路のような路地をぜひ歩いてみてほしい。

泉光寺鐘楼門からの眺望

安永5年(1776)に建立された泉光寺鐘楼門。門の脇からは集落が一望できる。

泉光寺境内にある「こうのとりの碑」。

コウノトリの姿が浮き彫りされており「相奈禮て三日千寿の別か那(あいなれて みっかちとせの わかれかな)」の俳句が刻まれている。傷ついたコウノトリが大薮にやってきたので看病したが、3日目に死んでしまったという意味。
最近でも集落付近にコウノトリがやってくるそうだ。

泉光寺の水天宮は水難除けの神様

泉光寺の水天宮は水難除けの神様として親しまれている。社が池の中島にあって独特の景観を示している。4月5日のお祭りでは鏡餅を供えた後、切り分けて集落の各家庭に配られる。

川いと

大薮川にある洗濯などをする洗い場であった「川いと」。

養蚕農家の特徴を持つ家屋

養蚕農家の特徴を持つ家屋をはじめ、こて絵、袖うだつなど、趣のあるまち並みを見ることができる。

こんもりとした林の中にあるこうもり塚古墳。

天井石の上には小さな祠がある。地元住民の手で掃除されており、中に入ることもできる。

むくり屋根

むくり屋根とは、屋根の中程が膨らみ、緩やかな弧を描いた形の屋根のこと。「漆屋を営んでいたことから屋号が『ぬしや』になりました」と家主の堀井さん。

禁裡塚古墳の玄室

ベンガラ成分をもつ赤色顔料が塗られているため石が赤っぽく見える。古墳時代後期、大薮から養父市場付近に、但馬最大の政治権力があったとされている。

大薮地区唯一の商店である服部商店

看板も掲げておらず、地元の人のみが利用しているお店だ。70年もの歴史を持ち、住民の憩いの場となっている。「60代から80代の常連さんが多く、買い物がてら毎日のように来られ、世間話に花が咲いています」と笑う服部さん。