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越前朝倉市発祥の里を歩く。<養父市八鹿町朝倉>(Vol.126/2025年2月発行)

朝倉山椒を育むのどかな里山と、川いとの残る谷川。

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越前朝倉市発祥の里を歩く。 <養父市八鹿町朝倉>

 養父市街地の中央を東西に流れる八木川。その南側の田園地帯に養父市八鹿町朝倉地区がある。
 朝倉地区と言えば、養父市の特産品でもある「朝倉山椒」発祥の地として有名だ。江戸時代には出石藩などの大名が幕府の献上品として重宝し、あの徳川家康にも献上されたという。枝にトゲがなくて実が多く、柑橘系のフルーツを思わせる爽やかな香りが特長で、現在は様々な加工品にも使われている。
 「この辺りは昔から農業が盛ん。かつては養蚕や牛を飼っている家も多く、のどかな田園風景が広がっていました」とは、区長の東佳見さん。現在は八鹿小学校区に属するが、昭和30年(1955)の町村合併で旧八鹿町になるまでは高柳村であり、子どもたちは約3キロ離れた高柳小学校まで通っていたという。
 「平成5年(1993)に国道9号八鹿バイパスが通るようになってからは、車の便もよくなりました。市役所、病院にも近く、周辺には大型ディスカウントストアやスーパー、こども園もあるので、若い世代の新規入区者も多いです。子どもの数も多く、各世代がバランスよくいるので、案外賑やかな集落ですよ」と、東区長は話す。
 区長の案内で朝倉を裏路地探険。
 集落の中央を走る県道271号は、集落のメインストリート。脇には朝倉川が流れ、川へと降りられる階段はかつての洗い場であった「川いと」の跡だ。山を隔てた南側へ県道を進んで行けば、満福寺のある養父市の十二所、広谷へと繋がり、車のない時代は交流も盛んだったそうだ。
 家々が密集する集落内は至る所に細い路地やカギ型の道があり、まるで迷路のよう。一度、路地に入れば、元にいた場所が分からなくなるような錯覚を起こす。
 それもそのはず、朝倉地区は城下町であり、戦国時代、織田信長と対立した越前朝倉氏の出身地。地区の裏山は中世の山城「朝倉城」があった場所で、馬場と言った城下町の名残を示す地名も残っている。敵の侵入を防ぐためであろうか、とにかく先の見通しが悪い路地が多い。
 「朝倉氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝の家来である朝倉高清を始祖とし、高清はこの朝倉の地に屋敷を構えました。その末裔である広景が但馬から越前に移り、越前国の大名となったんですよ」とは、集落の歴史に詳しい西村登さん。集落のシンボルにしようと、地元の故才木茂さんが中心となって保存会を結成し、登山道が整備された。標高152メートルの丘にある山城で、頂上まで約15分ほどで登ることができる。山頂からは八鹿地域が一望でき、ここを城に選んだ理由にうなずかされる。
 集落の東に鎮座するのは氏神である「朝倉天満宮」。学問の神様として知られる菅原道真公を祀り、地元では戦国時代に創建されたのではないかといわれている。地元での崇敬は篤く、北野天満宮ゆかりの「萬燈祭」を絶えることなく行なっている。
 「萬燈祭とは菅原公が亡くなった後、50年ごとに「大萬燈祭」、その間の25年ごとに「半萬燈祭」を行う慰霊祭です。萬燈祭を盛大に行なっているのは、但馬でもここ朝倉と香住の天満神社ぐらいでないでしょうか。次回は2年後の令和9年に千百二十五年半萬燈祭を開催します。時代衣装をまとった練り込み行列など、今から祭の準備で大変です」と、実行委員長である西村さんは話す。
 荘厳な社そうに囲まれた境内は空気が澄んでおり、厳かな雰囲気。住民にとって天満宮は昔から特別な場所であり、毎年秋の例祭では神輿巡行や子ども相撲が奉納され、先祖代々、大切に守られてきたという。
 中世の山城跡が残る朝倉地区。城跡の頂上から集落を見下ろせば、往時の景色が蘇るようであった。

朝倉城跡

標高152メートルの朝倉城跡頂上から八鹿のまち並みを望む。朝倉の田園風景、東西を流れる八木川、中心街の景色が広がる。登山道が整備されており、手軽に中世の山城を堪能できる。南北180メートル、東西95メートルの規模を持ち、堀切や土塁などがしっかりと残っていることから、県外からも訪れる人が多い。向かいの比丘尼城跡と、集落の北東にある向山城跡と合わせて、朝倉三城として保存されている。

朝倉地区メインストリート

県道271号と朝倉川。県道を南側に抜けると、集落の菩提寺でもある養父市十二所の満福寺がある。

蔵のある家

集落には蔵のある家が多く、養蚕業が盛んだったことから養蚕住宅も残る。

朝倉山椒の苗

繊細な朝倉山椒の弱点を克服し、枯れにくく実付きのよい苗を開発したことで、栽培面積も増えている。

朝倉天満宮

学問の神様として有名な菅原道真公を祀る朝倉天満宮。秋の例祭では神輿巡行、子ども奉納相撲や餅まきなどが行われる。令和9年には、北野天満宮ゆかりの「千百二十五年半萬燈祭」が盛大に斎行される予定。

学問の神様

受験生のお参りも多く、絵馬も奉納できる。

川いと

閻魔堂

閻魔大王を祀る閻魔堂。堂前ではかつて盆踊りが踊られていた。

宝篋印塔と 地蔵堂(一石六佛)

室町期に造られたとされる宝篋印塔は経を納めた供養塔で、市指定文化財。傍らには一石に六佛彫られた石仏と舟形の地蔵が安置された地蔵堂がある。