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異文化が交流する分水嶺の町<朝来市生野町>(Vol.29/1997年7月発行)

むこうは播州、ここから但馬。
全国から鉱夫が集まり
異国の鉱山技師が暮らし銀山で栄えた町。

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異文化が交流する分水嶺の町<朝来市生野町>

 生野町と言えば、史跡生野銀山や緑豊かな自然、魚ヶ滝の清流、満々と水を湛える銀山湖のきらめきを連想するが、ちょっと足を止めて歩いてみたいのが歴史の面影を残す古い町並みだ。
 本格的な鉱山の採掘が始められたのは室町時代天文11年(1542)、但馬守護山名祐豊が生野に進出し、生野城を築き金や銀を産出、町は豊かに栄えた。
 播州との国境、番所や代官所をとりまくように形成された口銀谷の町並みには、狭く入り組んだ路地が多い。どの路地を入っても格子、土壁、漆喰と意匠を凝らした伝統様式の和風の建物に出くわす。丹念に一軒一軒見て行くとさらに庭、瓦、建具に至るまで端正な表情をしている。ゆっくりと時間を隔ててできあがった風合い、古き良き日本文化が残っている。道に迷うほど新しい発見や気づきがある町だ。
 また、古い町並みの中に不思議なコントラストとしてモダンな建物を見つけることができる。中には、和洋建築といったものもあり、明治時代に派遣されたフランス人技師による異国文化の影響が伺える。播州との国境、全国から集まった山師、異国の文化が交差するボーダーな町。JR生野駅付近は旧街道の風情を残し商店が並ぶ生活感のあるエリア、生野町役場付近は、閑静な住宅街といった感じだ。
 さらに、赤みがかった生野瓦の屋根、鉱山の精錬過程で産出された黒いカラミ石なども、生野特有の風情を醸していることも見逃せない。
 現在、兵庫県では口銀谷地区を景観形成条例の指定地区にしようと準備が進められている。町民による調査も実施され、町並み作りに関心が高まっている。
※記事の内容は1997年7月掲載当時のものです。

鉱滓(こうさい)通称:カラミ石

鉱山の精錬から産出されたものを角形に成形。家の土台、石垣などに使用されている。

迷路のような路地

生野の町を探険。迷路のような路地、道に迷うほど新しい発見のある町だ。

珍しいほどこしがされた瓦

さまざまな風情を持つ格子

赤みがかった生野瓦