人々の往来が絶えなかった交通の要衝
商店が軒を連ね、盆と暮れは市場が開かれた
人や物、文化が行き交った町並みを歩く
但馬古代史最大の謎である但馬国府跡と推定されている豊岡市日高町府市場。円山川沿いに位置し、ちょうど出石と城崎に向かう分岐点にあることから、交通の要衝として栄えた。
人の往来が絶えず、その名が示すように但馬各地から商人が集まる市場として賑わったという。
東部の国府市場と西部の手辺という2つの地域から成り、国府市場が先に始まったことから、「府市場」と呼ばれるようになった。
特に国道312号沿いの手辺は、昭和30〜40年代頃、呉服屋、雑貨屋、魚屋、傘屋、鍛冶屋などの店が並び、ここで揃わないものはないといわれる商店街だった。
明治〜昭和初期には盆(8月7日頃)と暮れ(12月23日頃)の2回、1週間ほど市が開かれ、豊岡や江原の方からも商人がやってきて露店を出していたそうである。
今の府中郵便局のあたりから南へ約300メートル、国道の西側沿いに市が開かれ、一斉大売り出しと称し、通常の店舗にまじって、夏は盆用品、アイスクリーム、七夕紙、暮れはおせち料理の材料や正月飾りなどを売る店が軒を連ねた。「安いぞ、買いなれ!」という威勢のよいかけ声とともに、多くの人でごった返したといわれる。
現在、往時の面影を見ることはできないが、かつての繁栄ぶりを示すエピソードが残っている。
そのひとつが、古くから大事に守られている伊智神社の秋祭り。3年ごとに行われる神輿渡御は、天狗・白鬼などの行列に率いられた神輿が町内を練り歩く。30人近い担ぎ手によって担がれる神輿は豪華絢爛で、多くの見物客が訪れるという。
昭和27年までは屋台(山車)巡行も行われ、屋台に乗った裃姿の男衆が笛や太鼓を囃す光景は壮観であった。国府市場と手辺で、1基ずつ唐破風の屋台を保有していたというから驚きだ。
また、町内には観音堂、薬師堂、妙見堂、稲荷宮など様々な信仰の場があり、確かではないが、各所から人が集ったことに関係しているのではないかと考えられている。
人、物、文化が行き交った府市場。商店が立ち並び、人々が集う姿を思い浮かべながら車を走らせれば、普段何気なく通り過ぎる風景もまた違って見える。
3年に一度行われる神輿渡御は、伊智神社の秋祭り。伊智神社旗を先頭に神輿行列が町を練り歩く。神輿は男衆が30人がかりで担ぐ立派なもの。府市場の繁栄ぶりを表す伝統行事である。
右手が旧街道、左手が国道312号。すべて揃うといわれた賑やかな商店街が続いていた。
「府一関」と書かれた揮毫は、関所を表す。交通の要所であり市場が立ったこの場所に、多くの人々が集まったことを物語っている
円山川を正面に鎮座する氏神・伊智神社。荘厳な社そう林の中に屋台蔵(左)、神輿蔵が建っている。境内には宝筐印塔があり、豊岡市上郷にある満仲山の城趾より出土したものと伝わっている。