白砂青松の穏やかな海岸美が広がる訓谷浜。
クロマツやケヤキの巨木、色とりどりの花々、
人情味あふれる人々が旅人を優しく迎える。
佐津川右岸に位置し、日本海に面する香美町香住区訓谷。白砂青松の静かな海岸が広がり、夏場は多くの海水浴客が訪れる。昭和30年代後半のレジャーブームから増えだしたという、約40軒もの旅館・民宿が軒を並べている。
古くは「陸田(くにた)」と呼ばれていたとされ、やがて「訓田」から「訓谷」となったといわれている。佐津川の谷筋には田畑が広がり、旅館・民宿が立ち並ぶ以前は、農業を生計の糧としていた。
その頃、家計の大きな支えとなったのが、地引網漁だ。浜の東側の高台には「魚見台」と呼ばれる山番小屋が設けられ、湾内に入ってくる魚群(ハミ)を監視していた。
小屋には2人の番人が海を見つめ、沖より魚群が近づくと、屋根に上がって白と赤の旗を振り、「オーイ、オーイ。はやせーやー、はやせーやー」と大声で知らせた。大網(ハマチ網)の明治組、小網(イワシ網)の西組・東組と、魚種により組が分けられ、声が掛かった組員はどんな用事があろうと浜に駆けつけなければならなかったという。
「数キロ先にいてもよく聞こえました」とは案内役の綿本さん。番人は舟を魚群の方向へ誘導し、網を打つタイミングを、小網組ではワラの束を振って知らせた。当時は貴重な現金収入だったが、漁法の改良などにより昭和35年頃から魚が湾内に入ってこなくなったそうだ。
県道11号沿いには魚見台が復元され、日本海を見渡すことができる絶景スポットとなっている。
ここから集落に目を移すと、一際、大きくそびえ立つ2本のクロマツが目に入る。その内、民家のすぐ側に茂る大クロマツは樹齢約400年、幹周りが496センチもあり、『ひょうごの巨樹・巨木100選』に選定されている。
また、沖野神社境内に立つ大ケヤキも『但馬の巨木100選』に選ばれた巨木。樹高21メートル、幹周り5.3メートルを誇っている。
村の氏神である沖野神社は、後醍醐天皇ゆかりの神社。鎌倉後期、隠岐(島根県)に流された天皇は3体の尊像を海に流したとされ、その1体が現在の佐津地区公民館が立つ場所に漂着したと伝わる。以来、祭神として祀られたという伝承が語り継がれている。
境内には他に明治29年に建てられた芝居堂が現存。農閑期に村芝居が演じられ、現在も10月1日の秋祭り宵祭には、若手会による芝居が続けられている。宵祭と翌日の本祭には町の無形民俗文化財である「三番叟」を奉納。9月に入ると、小学生の踏子3名と中学生4名が、毎夜練習に励むそうだ。
伝統を守り続ける訓谷の人々。最近では4月にオープンガーデンが開催され、花による景観づくりも積極的に行われている。地引網で培われた連帯感がそうした街づくりに役立っているのかもしれない。
かつての山番小屋はもう少し上に建てられていた。魚見楼を建てて地引網をしたとする安永年間(1700年代)の記録も残っている。
沖野神社の裏側に立つ石造五輪塔は県の文化財に指定されている。南北朝時代のものとされ、欠損部が少なく、保存状態がよい。五輪のそれぞれの面に空、風、火、水、地の文字が刻まれ、戦国の世に散った人々の霊を祀っている。
魚見台からは日本海を一望できる。中は囲炉裏が置かれ、忠実に復元されている。
浄土真宗の古刹・光永寺には蓮如上人の真筆が掛け軸に残されている。また、本堂の両脇には訓谷湾を描いた襖絵がある。境内の八房梅の老木は大変貴重なものとされている。
境内には灯籠が数多く寄進され、銘には京都の商人の名が見える。北前船の船主によるものだという。