穏やかな空気が流れる古きよき漁村の風景
「一等地を抜く景観」と讃えられる景勝地
山陰海岸ジオパーク、大地の息吹を感じよう!
『トンネルを抜けると海だった』。突然碧い海が視界一面に広がり、眼前には村のシンボルである「三尾大島」が優雅に浮かぶ。つづら折りの坂道を下っていくと、三尾の町並みが見えてくる。
周辺の海岸線は山陰海岸国立公園に指定されている風光明媚な景勝地。中でも新温泉町岸田川から香美町香住区御崎までの東西約8キロは国の名勝及び天然記念物「但馬御火浦」といい、三尾地区はその中心的な場所だ。
「御火浦」というどことなくロマンチックな地名。名前の由来は村の伝承として語り継がれている。
その昔、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際、三尾の沖合いで濃い霧がかかって方向を見失っていた。その時、三尾の日和山で漁師が焚いたかがり火が見えて、難を逃れたという。皇后はお礼として、「御火浦」という名を授けたとされる。
しかし、その後度々、大火に見舞われたため、元の「三尾浦」に戻ったそうだ。
「3つの尾根に挟まれた谷間にあることが地名の由来とされています。海岸沿いはマグマが冷え固まってできた柱状の節理が見られ、男性的な海岸です」とは、ジオガイドを務める向根敏己さん。
道路ができるまでは陸の孤島であり、村外へはもっぱら船で往来していたという。夏は穏やかな表情を見せる日本海も、冬場は「うらにし」と呼ばれる北西風が激しく吹きつける。同じくジオガイドで、現役の漁師でもある前田保さんは、「毎日が台風のよう」と表現する。
こうした厳しい気候が独特の海岸美を造り出し、最近では山陰海岸ジオパークのジオサイトとして、観光客の数も増えているそうだ。
集落は大三尾と小三尾の2つの谷間に分かれ、川筋に沿って家々が肩を寄せ合って建っている。迷路のような路地が入り組み、まさに典型的な漁村集落といえる。
「三尾は古くからすぐ目の前の海の恵みによって生計を立ててきました。特に春先のワカメは味がよく評判。かつては辺り一面が真っ黒になるぐらいでした」と、前田さん。
最近では地元の豊かな魚介類をもっと認知してもらうため、住民でつくる「御火浦村おこしグループ」が海の幸を使って商品化に取り組んでいる。天然ワカメを冷凍保存した「冷凍生わかめ」や、冬の保存食である「なれずし」を販売。都会からの問い合わせもあり、地域活性化の一端を担っている。
世間の喧騒から隔離され、のどかな時が流れる三尾のまち並み。地元のジオガイドを予約すれば、分かりやすくジオパークを案内してくれる。歴史や文化、海の暮らしなどを知れば、風景もまた違って見えるはず。潮風に吹かれながら、大地の息吹を感じてみよう。
トンネルを抜けると、碧い海と三尾大島、そして眼前に小三尾集落が広がる。まるで絵はがきのような光景は、思わず息をのむ美しさ。世界ジオパークネットワークに加盟認定された山陰海岸ジオパークのジオサイトでもある。
「三尾大島」は高さ61メートル、周囲800メートルある小島。流紋岩のマグマが噴出してできた岩山で、島全体に柱状節理が発達している。まるで石の杭を隙間なく打ち込んだよう。
川筋に家々が建ち並ぶ大三尾集落。山陰特有の赤い屋根の町並みが眼を引く。集落内は路地が入り組んでいる。消火栓も多く、可愛らしい半鐘も置かれている。
150段の参道を上った先には、氏神である八柱神社が鎮座する。10月の例祭には、朱塗りの「船神輿」、郷土芸能である「麒麟獅子舞」が奉納される。新温泉町各地に残る「麒麟獅子舞」だが、三尾では地面低くゆっくりと舞い(鼻で地をふく)、「女獅子」と呼ばれている。
中央部には旭洞門があり、5月21日前後に洞門から朝日がさす光景が見られる。
今でも15人ほどが漁業を生業としている。春はタイやハマチ、夏はイサキなどを、一本釣りやはえ縄で漁をするそう。貝類などは潜って漁をすることが禁止されていて、箱眼鏡を覗き込み、長い竿を刺してサザエ、アワビをとる伝統の磯見漁が行われている。うつ伏せの状態で、巧みに櫂で漕ぎながら漁場を探す海の達人。のどかな海の風景と相まって、思わずシャッターを切りたくなる。
集落の安泰を願う「六体地蔵」。周辺には三界萬霊の碑や、村づくりの先駆者・真先秀太郎氏の遺徳碑がある。
展望台には承久の変に敗れた後、後鳥羽上皇が隠岐に流される途中に詠んだとされる歌碑が佇む。「想いやれ 憂き身を御火の浦 風に泣く泣く 絞る袖のしずくを」
柱状節理が美しい「長崎の鼻」からは、日本海が一望できる。元々は三尾大島とつながっていたと考えられている。
※集落から長崎の鼻までの山道は危険なので、注意して歩きましょう。