»一覧ページへ戻る

大屋市場を歩く<養父市大屋町大屋市場>(Vol.90/2014年4月発行)

かつて定期市が立った大屋市場の町並み
虫籠窓に千本格子、うだつを掲げた旧家…
どこか懐かしい雰囲気が漂う通りを歩く

大屋市場を歩く<養父市大屋町大屋市場>(Vol.90/2014年4月発行) マップを拡大して見る

大屋市場を歩く<養父市大屋町大屋市場>

 旧大屋町の中心地であった養父市大屋町大屋市場。名前の通り、かつては市場が開かれていた場所であり、商業の町として栄えてきた。
 天滝や大杉ざんざこ踊りで知られる西谷地域と、明延鉱山のある南谷地域の分岐点であることから、人や物が集まるターミナルとして発展していった。
 定期市の始まりは定かではないが、大正の頃まで、道の両側に仮屋を建てて市が開かれたと言う。
 6、7月に夏市、12月に冬市があり、盆や暮れ、正月の時期にも市が立った。昆布や塩マス、数の子などの海産物から、下駄や反物、鎌のような刃物類などの商品が売られた。商人が寝泊まりするため、宿屋も5軒あったそうだ。
 毎年の楽しみとして、行李を首にかけた地元の人が大勢集まり、町中は大いに賑わった。
 「この定期市を元に、常設店ができるようになり、商品がいつでも買えるようになりました。役場や農協、映画館もあり、昭和30年代は特に賑わいを見せた時代です」とは、案内役の野崎曙生さん。
 その繁栄ぶりを表すように、高台にある日枝神社と天満宮は立派な造り。祭りの際には氏子の心意気を示す長さ約14メートルもあるのぼり旗を掲げるそうで、「高齢化が進む今では旗を立てるのにひと苦労」と笑って話してくれた。
 鳥居が2つもあるのは、元々隣りの山路地区の氏神である日枝神社の場所に、大屋市場の氏神である天満宮が移ってきたことが理由。天満宮の彫刻は招き猫の木彫で知られる地元の作家・松田一戯氏の作品で、温かみのある雰囲気を醸し出している。
 通りにはうだつの揚がった重厚な古民家やレトロな旧商店、モダンな旧銀行の建物などが残り、当時の様子を今に伝えている。
 「うなぎの寝床」と呼ばれる、間口が狭くて奥行きの深い民家が軒を連ねており、町並みを形成する大きな特徴となっている。
 大正7年に大火に見舞われたことから、道路幅が拡張され、通り沿いには現在も残る用水路が整備された。これらの費用は全て住民の負担だったそうだ。
 通りを歩けば、どこか懐かしい風情が残る大屋市場の町並み。明延川を挟んで、東側にそびえる大屋富士が、さらに町の景観に華を添える。静かな時間の中で、往事の息づかいが聞こえてきそうだ。

今も残る景観

商店が軒を連ねた通りには、レトロな看板を残すお店や、うだつを掲げた旧家が今も残っている。大正頃まで定期市が立ち、その後、常設店ができていった。

軒下を支える大黒天!?

とても手の込んだ格子窓

日枝神社と天満宮

日枝神社(中)と天満宮(左)。鳥居が2つもあり、その理由は大屋市場の氏神であった天満宮が、明治の中頃、同地に移ってきたことによる。秋祭りにはツバキの枝に当たりくじを付けた、「棒まき」と呼ばれる珍しい行事が残されている。

六地蔵

村の旧境界上に佇む「六地蔵」や阿弥陀寺の参道脇にある「地蔵尊」など、大屋市場には3カ所に地蔵尊が大切に祀られている。参道には、当地の蛇紋岩が所々に使われいてる。温石なので、昔は石を暖めて暖房具として使われた。

レトロな看板

呉服屋だったお家にはレトロな看板が残る

養父市役所大屋地域局

市役所大屋地域局内には喫茶&観光案内の「すずこ」があり、散策の休憩に最適!

さすがは木彫フォークアートの町!

氏神である天満宮には、地元の木彫作家・松田一戯氏によって、龍や獅子、貘(ばく)の彫刻が彫られている。

郷蔵

かつては凶作に備えるためのもみが保管されていた郷蔵(共同の倉庫)。現在はコミュニティ施設として改修されている。