»一覧ページへ戻る

万年酒と平家伝説ゆかりの地<新温泉町久斗山>(Vol.102/2017年4月発行)

江戸時代のたたら製鉄跡が残る久斗山
集落のシンボル・大ヒノキに眠る「万年酒」
酒の澄み具合で吉凶を占う神事が残る

万年酒と平家伝説ゆかりの地<新温泉町久斗山>(Vol.102/2017年4月発行) マップを拡大して見る

万年酒と平家伝説ゆかりの地<新温泉町久斗山>

 新温泉町浜坂の市街地から約15キロ、国道178号から久斗川渓谷沿いに20分ほど車を走らせると、標高130メートルの山あいの村、久斗山地区が見えてくる。
 ここは24年前まで小学校があった集落の中心地。この場所から谷筋に中小屋、池ヶ平、本谷の3つの集落があり、子供たちは数キロかけて通ってきていたそうだ。冬場は2メートルを超える大雪が積もったこともある豪雪地帯。各集落には冬季用の分校が設置されていた。まさに「谷間の国」といわれる、但馬らしい山の風景が広がっている。
 集落の歴史は古い。池ヶ平地区からは約8千年前の縄文時代の遺跡が見つかっており、平家の落人伝承も伝えられている。
 さらに、久斗山の一番奥の集落、本谷地区からは江戸時代の「たたら場跡」が発見された。近くには製鉄の神「金屋子神」を祀った祠があり、この辺りでは古くから急流を利用して砂鉄を採取し、製鉄が行われていたそうだ。
 たたら製鉄ではふいごを使い、火力を強めて鉄を得るが、そのためには大量の木炭が必要となる。豊かな森林と深い谷から流れる大量の水が流れ出るこの地は、製鉄を行うのに格好の場所だったといえる。
 18世紀中頃まで操業していたとされ、これが後に浜坂の基幹産業となった縫針業の下地になった。
 また、製鉄の副産物である炭焼きは、長きに渡ってこの地区の生計を支えた主要産業であった。80世帯あった昭和30年頃はほとんどの家が林業を生業としていた。
 「馬車のある家が3軒あり、大量の木炭を積んで浜坂まで運びました。冬は出稼ぎで丹波まで炭焼きに行っていた人もいました」と、案内役の中村寿弘さんは話す。
 古来より自然の恩恵を受けてきた久斗山集落。地元の人たちは自然を崇敬する気持ちも人一倍強い。毎年、10月1日に氏神である大杉神社で行われている「酒つぼ占い」の神事はその代表的もの。
 境内にある大ヒノキの根元に埋めれられた「万年酒」と呼ばれる濁酒の澄み具合で、その年の吉凶が占われる。酒が澄んでいれば「吉」、濁っていれば「凶」とされ、よくない場合は後日、久斗山に流れ込む七つの谷の水で作り替えられる。過去には4年間「吉」が続いたこともあったそうだ。
 このような神事は全国的にも珍しいそうで、まさに自然とともに生きてきた久斗山の集落らしい行事が綿々と受け継がれている。

大杉神社

集落の氏神である大杉神社には、五十猛神(イソタケル)が祀られている。本殿の裏には久斗山のシンボルである大ケヤキがそびえる。根元には古丹波の壺に入った「万年酒」が眠り、10月1日に宮司による「酒つぼ占い」が行われる。

薬師堂

130年前に建てられた薬師堂には、当時疫病が流行った際に薬師如来が祀られた。村をよくするなら薬師さんをきれいな姿にしたいと、平成15年に住民が全額寄付して、金箔が貼り替えられた。1月16日は数珠繰りが行われる。

山間の佇まいが残る家々

冬場は雪深い場所なので、集落には造りのしっかりした剛健な民家が多い。土蔵がある家も多く、日本の原風景と言える山間の佇まいが今も残っている。

但馬六十六地蔵の第六番札所

ここから湯村温泉に抜ける峠道があり、昔は4時間かけて、但馬牛の子牛を湯村の牛市場まで連れて行っていた。

大杉神社の稲荷神社

大杉神社の境内にある稲荷神社は、京都の伏見稲荷から分霊された。