雄大な山々に囲まれた美しい渓谷の村
急斜面に棚田や家々が建つ山あいの風景
自然と融合して暮らす和牛の古里を往く
谷間が語源ともいわれる但馬を象徴する場所、香美町小代区。まちの中央部を北流する矢田川の源流域であり、ひとつの谷でひとつのまちという珍しい特徴を持つ。
四方を山に囲まれた山間の里で、「日本で最も美しい村」に認定された自然豊かな土地だ。
小代地域局のある中心部から南西へ少し行くと、山陰海岸ジオパーク、氷ノ山後山那岐山国定公園に属す「久須部渓谷」が伸びている。仏の尾山ろくを流れる久須部川一帯は、原生林と滝の宝庫であり、格好のウォーキングコースとして人気がある。
日帰り温泉施設「おじろん」の横手、川筋の遊歩道を歩くと見えてくるのが、「久須部川の滑床」。火山活動によってできた凝灰岩の川床はとても滑らかで、独特の景観が広がる。夏には天然のウォータースライダーとなり、子どもたちの遊び場となっている。
「小代は暖地植物の北限と、寒地植物の南限が重なる地域なので、植生が本当に豊かです。至る所で多種多彩な山野草と出会えますよ」とは、小代ガイドクラブの小林良斉さん。
南側に広がる上ノ山の尾根筋には急峻な地形を利用した山城があったそうで、戦国時代、羽柴秀吉の但馬攻めに際し、弟・秀長の家臣である藤堂高虎の手勢を当城で迎え撃った「小代一揆」の舞台ともなっている。
さらに渓谷の奥地へと歩みを進めると、坂道に沿って家々が建ち並ぶ久須部の集落へと入っていく。
日本の黒毛和牛の99・9%が、小代で育った「田尻号」の子孫であると証明されている和牛の原点・小代区。久須部集落もかつてはどの家でも玄関横の母屋に1年1産の子牛を飼っていたが、現在は多頭飼育へと変わり、その名残りを偲ぶ家を残すのみとなっている。
「小代の語源を知っていますか」と、小林さん。「代は代かきでも使われるように、水田を表します。急斜面しかないこの土地では小さな棚田しか作れず、これが語源です。農耕具が発達する前は役牛として、食肉文化が広がった後は農家の収入源として、但馬牛はかけがえのない宝でした」と話す。
集落を抜けて林道を進むと、ゴールの「要滝・三段滝」へ。滝のすぐ側まで行くことができ、疲れた体を大自然のマイナスイオンが癒してくれる。清流と滝が織りなす自然の芸術、久須部渓谷。この夏は涼を求めて、滝めぐりへとぜひ。
雪深い土地だけに、冬場は但馬杜氏として酒造りの出稼ぎに出る家がほとんどだった。久須部集落の農家では但馬牛や養蚕が貴重な収入源となり、今でもその名残りがある家々が残っている。
下流から見て左側にあるのが「要滝」。扇の要(Vの字)のように見えることから、その名が付いた。約300万年前の火山活動での火砕流によって固まった凝灰岩の上を流れるなだらかな滝である。
段上を清流が流れ落ちる落差10mの「三段滝」。
宙の森ホテル花郷里から南西に目を向けると、ハチ北や氷ノ山を望むことができる。
ふれあい温泉おじろんは、薄い茶色で湯当たりがいい温泉が特徴。久須部川のせせらぎを耳にしながら、ゆったりくつろげる。手打ちのそば屋さんもある。
脇には金山神社が祀られている。(坑道内は立入禁止)
滝周辺には金山跡地もあり、かつて鉱山の動力源として、水力発電に利用されていた水車が復元されている。この地の水の豊富さを表すエピソードといえる。
久須部川の滑床はとても滑らかで、夏場は川遊びに最適。