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あさご芸術の森を歩く<朝来市多々良木>(Vol.122/2023年10月発行)

巨大なダムがそびえ
芸術と自然が調和する
あさご芸術の森。
地蔵やお堂が点在する
庶民信仰の郷を歩く。

※この記事は現在準備中です。

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あさご芸術の森を歩く<朝来市多々良木>

 剥き出しの岩石を積み上げて造られたロックフィルダムの迫力ある光景がシンボルとなっている朝来市多々良木。国道312号から東へ約5分ほど車を走らせると、巨大な多々良木ダムの遮水壁が迎えてくれる。
 ダムのふもとには、朝来市の芸術文化ゾーンとして「あさご芸術の森」が整備され、美術館を核として、屋外にもアート作品を展示。地元住民が手入れする桜やイチョウ、ケヤキなどの樹木と相まり、芸術と自然が調和する空間が広がっている。
 多々良木の集落の歴史は古い。周辺には古墳群が残っており、古代より人々の営みが行われていた。
 江戸時代には、ダムのふもとを境にして、奥多々良木村と口多々良木村に分かれており、明治時代に多々良木村として統合。かつての奥多々良木村の大部分はダムの建設により水没して、住家24戸がふもとへと集団移転し、現在は口多々良木地区となっている。
 「但馬國多々良岐(木)庄に初めて、幕府の管理者である地頭を置くと、鎌倉幕府が編纂した歴史書である『吾妻鏡』に出てきます。中世の土地台帳でもある『大田文』にも多々良木の記述があり、その頃にはムラとして認知されていました」とは、集落の歴史に詳しい地元の伊藤孝さん。
 地名の由来は分かっておらず、名前の通り、「森林が豊かな場所であるため、たたら製鉄が盛んだった」のではないかと推測されている。
そのことを示すように、昭和30年代頃までは炭焼きなどの山仕事が生業の中心だったそうだ。
あさご芸術の森美術館を起点に、区長の中島哲男さんと伊藤さんとともに、集落の東半分をぐるっと探険。
まずは、「不動堂」と呼ばれる護摩堂を案内していただく。地元では「行者さん」と親しまれている修験道の施設であり、明治13年(1880)に、疫病と猪の被害から村を守るために、岡山県の後山から役行者を勧請し、御所箇嶽(行者岳)に祀ったことが始まり。現在も5月の山開きと9月の止め山の祭礼に、護摩供養が行われている。
 「多々良木は庶民信仰が篤く、お堂や地蔵が各地域ごとに点在しているのが特徴ですね」と、伊藤さん。
 中でも、薬師如来を祀る「薬師堂」は耳の神様として知られ、耳が悪い人が穴の開いた河原の石を拾って願をかければ、耳がよくなると言うご利益があるそうだ。今も堂の脇には、穴の開いた石が数多く残されており、庶民信仰の篤さを表してる。
 不動堂を少し西に進めば、白いドーム状の宿泊棟が特徴的な宿泊施設「CoCoDe」をはじめ、森の中の公園や川遊びエリアが広がる。
 一角には、ダム建設に伴って移築された旧井上家住宅が、歴史民俗資料館として復元されている。元禄年間(1688〜1704)に建てられたとされる茅葺き屋根の住宅は、当時の農家様式を色濃く残しており、この地域では一般的な住居であった。
 「私の子どもの頃にはまだ茅葺きが多く残っていて、葺き替えの際には地域みんなで協力して手伝ったものですよ」と、中島区長は話す。
 ここから数百メートル進むと氏神である「八幡神社」の参道が見えてくる。応永18年(1411)の棟札が保管されており、杉やイチョウの大木の中にそびえる拝殿と本殿は立派なもの。八幡神社は源氏が信仰したことから武士の崇敬が篤い神社であり、10月の秋祭りには「流鏑馬」が行われている。弓矢で的を射りながら参道を往復する神事で、昭和30年頃までは実際に馬に乗って行われており、寛永19年(1642)に奉納された乗馬鞍も保存されている。昔は農耕や炭焼きの運搬に多くの家で馬を飼っており、流鏑馬にも使われたそうだ。
 集落の真ん中には多々良木川が流れており、遊歩道が整備されている。6月にはホタルの名所としても知られ、幻想的な風景を醸し出す。
 「春は桜、夏の新緑、秋は紅葉と、遊歩道では四季の景色が楽しめます。一番の自慢はダムから見下ろす集落の眺め。これからは朝霧や雪景色も見られ、写真スポットとしておすすめです」と、中島区長は教えてくれた。
 地域と自然、アートが混在する多々良木。秋の紅葉を愛でながら、のんびり散策してみてはいかがだろうか。

雄大なロックフィルダムの直下にある「あさご芸術の森美術館」

美術館の野外にある常設展示

朝来市出身の彫刻家・淀井敏夫氏の作品を常設展示している他、展覧会やワークショップなどを開催している。広大な野外彫刻公園と屋内の美術館によって構成されている。

移築された農家住宅

兵庫県有形民俗文化財に指定されている「旧井上家住宅」。ダム建設に伴い、移築された。元禄年間に建てられたとされ、農家住宅の様式を色濃く残す。

護摩供養の場所とそこに佇む石碑

5月の山開き、9月の止め山の祭礼の際に、護摩供養が行われる不動堂。堂の脇には、役行者勧請の碑と、多々良木出身の力士、男石彌平の塚が佇んでいる。

「薬師堂」

耳がよくなるご利益があると言われている「薬師堂」。元々は個人が建立したもので、現在は地域住民によってお世話されている。

「薬師堂」に奉納された穴の開いた石

「八幡神社」

集落の氏神である八幡神社。10月の秋の祭礼には、「流鏑馬」神事や子どもたちによる奉納相撲が行われる。立派な舞堂も残されており、舞堂と境内などでは、扇子踊りなどが演じられていた。

舞堂の天井に吊るされている山車を引いた車

大正天皇の即位などを引いた車。大正天皇の即位などのお祝いの際に使われたと言う。

地域に点在するお地蔵さん

多々良木には、お地蔵さんが点在しており、各地域で大切に祀られている。
8月24日は地蔵祭りを開催。

多々良木ダムからの眺め

区長さんおすすめの多々良木ダムからの眺め。10 〜16 時の間は堤頂通路が開放さ
れており、集落全体を見下ろすことができる。
※通路は予告なく閉門する場合あり。