天滝の麓に三階建ての家並み
山と養蚕で栄えた佇まいに
独特の建築文化を見る
ノスタルジックな雰囲気が漂い、独自の文化を感じさせる町並み。養父市大屋地域局から西へ約4km、目の前に迫りくるような山合いの旧道に沿って、筏の集落が東西に続く。
筏には3本の川が合流してる。標高1510m、ブナの原生林に豊潤な水をたたえる氷ノ山を源とする大屋川。「日本の滝百選」のひとつ、名瀑・天滝から流れ出る天谷川。さらに、藤無山から流れ出る佐治見川。昔は豊かな水量を誇り、文字通り材木の集散地であったのだろう。筏の地名はそんなところからついたといえる。木挽職人や牛馬を引いていた往時が目に浮かぶよう。
興味深いのは、筏に住む人たちのおよそ8割が中尾姓ということ。混乱を避けるために昔から屋号で呼び合い、現在でも通用する。糀屋・まんじゅう屋・たいやき屋・わた屋は職業と関係がありそうだ。いずし屋・吉野屋・大塚屋は地名を、寺坂や谷口屋は位置をそれぞれ暗示しているようである。
江戸時代、但馬に養蚕の技術をひろめた上垣守国は、すぐ東隣の蔵垣で生まれた。急峻な地形に少ない耕地、人々は養蚕に力を注いだ。一見すると2階建てで中に入ると3階建になっているという特徴が養蚕農家にはある。最盛期には家族の寝る場所をかろうじて確保し、後はすべて蚕のための部屋だったという。
筏では、その様式を伝える家並みが集中している。「抜気」と呼ばれる換気の設計もまだ見られる。落ち着きと歴史の存在感を、私たちに語りかけてくるようだ。大正時代に2回の大火があり、その後、建築した家もまた絵になる不思議さがある。
木材で栄えた村だからこそ、といえるもの。例えば、柱や梁の大きさ、材質(種類)、技術面など。窓枠や軒下の装飾的な施し、土壁や白壁にある鏝絵、恵比須や小槌をあしらった瓦など、住む人の美意識、豊かさを伺い知るようである。
また、何年か前ならどこの家にでもあった戸袋、縁の下で飼っていた鶏の小屋跡、タイムスリップをしたような、なつかしさと安堵感に包まれる。
明治になってからは、西谷地区の中心となり、小学校、JA、郵便局、診療所などが整備されてきた。
あくまでも自然体として、静かな時の流れを醸し出しているかのような家並み。独特の、そして絶妙なバランスとリズムで山間に調和している。
※記事の内容は2000年3月掲載当時のものです。
うだつのある築100年は経つという家、養蚕農家の特徴をよく残している。
養蚕では湿気を嫌うため小屋根を設けている。
扉や窓枠に化粧壁がある。筏には蔵が多く、屋号や家紋、まじない文字を施している。
明治4年の文字が刻まれている。