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山陰表街道・裏街道分岐点の町<朝来市山東町梁瀬地区>(Vol.40/2001年3月発行)

旧国道沿いの静かな町並み
その昔、多くの旅人が行き交った道
いくつもの時代が交錯する路地

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山陰表街道・裏街道分岐点の町<朝来市山東町梁瀬地区>

 絶え間なく行き交う車の流れの向こうに静かに時を隔てた旧街道の町並みがひろがる。京都から山口県へと山陰を縦走する国道9号線と遠阪から神戸・大阪方面へ続く国道427号線が交差する一角。昭和36年頃に、現在の位置へ国道9号線が改修されるまで、主要道路とされていた矢名瀬町の旧国道9号線沿いを歩く。
 かつては、村役場や郵便局、銀行があり、JR山陰本線梁瀬駅からうどん屋、自転車屋、運送屋、畳屋、飾り屋など多くの商店が軒を並べ、盆と正月にはやなせ市と呼ばれる大きな市が開かれ賑わっていた通りだ。
 さらに時代をさかのぼると、但馬から丹波、京都、奈良へ続く山陰表街道、矢名瀬町を起点に夜久野峠を越えて京都亀岡へ向かう山陰裏街道、西国巡礼者が姫路の書写山円教寺から天橋立成相寺をめざして歩いたなりあい道としても知られる。江戸時代には参勤交代の大名行列が遠阪峠を越えて休息本陣を構えた但馬の玄関口とも言える交通の要所であった。
 しかし、現在では、国道9号線の車が行き交う喧騒さとは対象的に、一歩通りに入り込むと全く異なった静かな表情の町並みがひろがる。土壁や白壁、格子、うだつ、ハイカラと呼ばれた時代の飾り窓やタイルをあしらった建物、いくつもの時代が交錯するように存在している。中でも元禄時代創業の2つの大きな造り酒屋は、どっしりとその存在感を与える。古いしきたりや技法、伝統を継承し、今も人気の親しまれる地酒をつくっている。生きた麹を育んで来た歴代の蔵は、まさに神聖で、幾年も守り継がれてきた神秘さを感じさせる。
 商店を覗いてみると、長年大切に使い込んだ商品棚に店番席があり、会話がはずむような店構えがどこかなつかしい。外観からはわかりにくいが、間口は狭く奥行きが長いのも特徴だ。
 街道や歴史として語り継がれるエピソードも多い。豊岡藩主京極氏が休息本陣として留まった時、殿様の馬の駒つなぎに使っていた立派な松の木があったとされるところ。下の茶屋の水はたいそうおいしいと評判でお茶を出してもてなしたこと。ある民家には、幕末1863年、生野義挙の折りに敗北した農民たちが、戦を先導したと報復に押し入り、大黒柱に斬りつけた刀傷が今なお残されている。
 さらに、国道9号線を隔てた秋葉山の麓にも3つの寺があり、当時の人々の暮らしや、生き方を知ることができる。
 長栄寺は生き仏となって念仏を唱え往生した浄架尼ゆかりの寺。大衆娯楽、おやまの道中・皿まわし・刀芸など大神楽の興行が行われたことでも知られている。
 また、円照寺の山門にある寺号の額は江戸中期の華厳宗鳳潭の筆によるもので、旧仏教徒が新仏教である浄土真宗の寺号を書いたことは大変珍しいとされている。
 いずれも、今ではさほど広く感じられない道幅に、幾多の時代に多くの人々が行き交ってきた姿を彷彿とさせる。表街道と裏街道の分岐点となる三差路の隅に、時の証人のように静かに道路元標が佇んでいるのが印象的だ。
※記事の内容は2001年3月掲載当時のものです。

やなせ村道路元標

造り酒屋の杉玉

大黒柱の刀傷

秋葉神社から見下ろす矢名瀬町の家並み

モダンな写真館

手芸店