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急峻な坂道・山間の里を歩く<香美町小代区新屋>(Vol.39/2000年11月発行)

種田、段々畑、曲がりくねった道
山懐の斜面に建ち並ぶ家
心地良い山嵐が吹く谷

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急峻な坂道・山間の里を歩く<香美町小代区新屋>

 鉢伏山から高丸山小代越え、赤倉山、氷ノ山へと続く山並みの懐、国道482号線から少し登ったところにある新屋の集落を歩く。県道から林道、町道と整備された新屋の集落を中心に、南部健康高原(中サバ・備)と熱田、赤倉山の尾根まで、約300町歩と広大な山林を有する山間の里だ。
 集落は標高380〜420mにあり、眼下には、ゆるやかな孤を描く山々と美方の町並みがひろがる。急峻な斜面に、下から上へ続くいくつもの路地があり、勾配を緩くするためか、うねった路地が多い。建物を横に見ながら坂道を登ると、少しずつ変化した角度で上から下へと景色が送られていく。振り返ると家々の屋根瓦の波、前には見上げるような高い石垣の家、あらゆる方向へ視界が変化する。
 坂道を登りきった熱田神社のある広場は、新屋の集落を見下ろす絶好のスポット。養蚕農家の面影を残す四角い窓枠の家、各々の紋が刻まれた蔵、庭には大きな松や柿の木が植えられた家が多い。屋根は雪が深いため比較的瓦屋根が少なく、雪止めを施している。
 新屋の歴史をたどると熱田神社を祀る由縁や地名の由来にさかのぼる。伝説によると、尾州(尾張)熱田の大宮司の子孫が、この谷へ移り住み、開拓したと伝えられている。室町時代には、金や銀・銅・鉄が産出される山として栄えていたが、1540年、名ヶ谷の洪水のため山崩れがあり、全てが押し流されてしまい、新たに家を建て、村を作り直したことから、「新屋」という地名になったと言われている。
 山に暮らし、数十年前までは、養蚕や但馬牛の飼育も盛んに行われ、冬は、酒造りなど出稼ぎに出かける人が多かったが、今ではいずれも少なくなってきている。しかし、一方では、生花やわさびの栽培も盛んに取り組んでいる。また、起業家が多く、粘り強さが新屋の気質となっている。
 新屋の人たちはよく、「ちょっと上の山まで行ってくる」という。かつて盛んに牛を放牧し、牧草を刈っていた山。広大な山林に豊かな自然、山には熊も生息する。時折、里へ降りてくることもあり、熊の道と呼ばれる歩くルートが決まっている。驚かせずに山に帰って行くのを見守る。昼間でもキツネや狸が人里によく姿を見せる。
 現在は道路状況も良くなり、冬はスキー場となるミカタスノーパークまでは車で約3分。南部高原へは約10分、尼崎市立美方高原自然の家「とちのき村」と新屋地区が管理する全国しゃくなげ公園やコテージ村が整備されている。眺めは爽快、山の稜線がすぐそこにあり、同じ目の高さには、対面の山の頂と向かいあう。
 棚田に、段々畑、うねった坂道、
自然の中に、暮らしの気配があり心地よい山風が吹く谷。静かな山間にさまざまな風景がひろがる。
※記事の内容は2000年11月掲載当時のものです。

お堂の天井に回り舞台の仕掛けが収納されている

高い石垣の上に建てられている家

テーラーいっぱいに積まれた牛の牧草

牛小屋

八反滝にも足をのばして