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里山観音めぐり<豊岡市日高町神鍋高原>(Vol.48/2003年10月発行)

神鍋高原に点々と座する観音菩薩
季節の移ろいを風に感じて
神鍋の風景に溶け込んだ石像めぐり

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里山観音めぐり<豊岡市日高町神鍋高原>

 日高町栗栖野にある臨済宗「久遠山・大円寺」は、南禅寺派の別格地として建てられました。慶長10年頃、悦叔禅師は南禅寺住職を金地院崇伝禅師に譲り、竹野町にある円通寺に身を寄せていました。その時、雪山禅師と村人の熱い願いを受け、この大円寺を建立し、村々の人々に禅を説いたことがはじめとされています。
 町指定の文化財に指定されている山門は、安永7年(1778)、名工・木之瀬重助の作(竹野町小丸村出身)で唐模様を基調とした三間一戸の楼門形式で、屋根は当初こけら葺きだったそうです。蛙股や獅子、バク、ウサギの彫刻は精巧で独創性に富み、いろいろな技法が用いられています。特にウサギの彫刻は大変珍しいものだそうです。
 大正4年、神鍋高原に道づくりが行われました。その時、大円寺の檀家の皆さんが三十三体の観音菩薩の石像を奉納することとなり、大正6年に完成、落慶法要が行われました。石像を彫った石工は大屋町の羽渕梅造、使った石は大屋町でとれた蛇紋岩。当時、但馬4大南画家のひとりとして有名な中島梅岳も賛同してつくられました。それぞれの思いを込めた神鍋高原の三十三カ所石像観音菩薩は、多くの人々の信仰を集めていました。
 しかし、時は流れ、新しい道ができ、石像は草の中に埋もれ、人々の記憶からも忘れ去られていきました。昭和50数年頃、ソフトボールチームの監督をされていた畠山宗久ご住職が、子どもたちと一緒に三十三体の石像を探し出しました。そして、ご近所の皆さんの協力を得て、現在の遊歩道沿いに置き直しました。どうしても見つからなかった4体の石像は、檀家の皆さんの協力を得て、新しく作り直しをしました。現在では蛇紋岩がとれず、たいへん苦労されたそうです。
 神鍋高原の緑の中に、そっとたたずむ石像の姿は、アウトドアのメッカとしての神鍋高原とはまた違った風情があります。大円寺にある1番の石像をスタートとして、高原の素晴らしい自然を満喫しながら、三十三カ所石像観音菩薩をお参りしてみませんか?
 2番の石像のすぐ近くには、風穴があり、夏は涼しく冬は暖かい、自然の神秘が味わえます。桜の木の下にある3番は、神鍋の地層がわかる断層を見学しながら進みましょう。神鍋山に登ると休憩所があるので、ひと休みしてまわりの風景を楽しんでください。神鍋山火口周辺をぐるっと回って「お鉢まわり」をして、17番のすぐ横、神鍋神社にもお参りをどうぞ。20番はパラグライダーの基地のすぐそば。26番は古墳の横。通常は古墳の中には入れません。30番はかんなべ湯の森ゆとろぎ近く、ゆっくり温泉につかって疲れをとり、道の駅「神鍋高原」でお土産を買って帰るのも楽しいです。
 かんなべ湯の森ゆとろぎと道の駅「神鍋高原」が全長81メートルの「スカイウェイ」で結ばれました。レストラン、ビアガーデンなど内容もボリュームアップ。
 また、今年11月には日高町と村岡町を結ぶ蘇武トンネルが開通し、神鍋高原から湯村温泉まで車で30分でつながります。ますます便利になって楽しめる、神鍋高原は進化しています。
※記事の内容は2003年10月掲載当時のものです。

ひっそりとたたずむ六番観音様

二十番観音様

五番観音様

五番観音様から眺める神鍋高原の景色も素晴らしい

三十三カ所の観音様

三十三カ所の観音様をひとつひとつ丁寧にお参りをしました。

神鍋神社と十七番観音様

神鍋発祥之地の石碑

神鍋火山断層

大円寺

大円寺山門の彫刻

山門のバクとうさぎの彫刻。うさぎは大変珍しいとか。