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平家の里 御崎を歩く<香美町香住区御崎>(Vol.59/2006年7月発行)

平家伝説が色濃く残る陸の孤島
心を打つ小さな隠れ里の風景に
厳しく、たくましい人々の生き様が見える

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平家の里 御崎を歩く<香美町香住区御崎>

 探検実施の4月上旬、御崎では桜が見頃を迎え、あちこちで自生する平家蕪が咲き誇っていた。この地に身を寄せた当時、食糧に窮した平家落人が神に祈願を込めたところ、恵みを受けたのが、この御崎にしか育たない特殊な平家蕪だったという。
 但馬には平家の隠れ里といわれる地域が数多く残っているが、御崎の平家伝説は特に色濃く今日まで伝わっている。
 壇ノ浦の戦い(1185年3月)に敗れ、この地にたどり着いたのは、門脇宰相平教盛を大将とする7人の落人。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った修験者に土着を勧められた一行がこの地に身を置いたというのが村のはじまり。以後400年以上にわたり、世間との交渉を絶ったつらく厳しい生活が続く…
 3社の御神燈が置かれた村の中心地から見渡すと、狭い土地に民家が固まっているのがよくわかる。突き合わせた屋根の下に隠れる細い石垣道や小さな段々畑。限られた空間に築かれた村は、のどかな風景を映している。
 「水の一滴は血の一滴」とまでいわれた程、この地で水は貴重とされていた。わずかな井戸水の湧く現在の場所に村が移ったのはおよそ420年前のこと。山奥に関わらず、早い時期に水道が引かれたのは湧き水の恩恵だ。
 毎年1月28日、平内神社では門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて百一本の矢を射るという「百手」の行事が行われる。世代を重ね、伝えられた報復の念と平家再興の夢。かつて栄華を極めた平家の思いを継いだ人々は、貧しい生活の中でもその誇りを持ち続けていた。
 江戸時代は村に寺子屋があり、後に井伊直弼の相談役を務めた俊龍和尚も幼い頃、ここで熱心に学んだという。
 小さな村にある3社の内、美伊神社だけが集落から遠く離れている。余部埼灯台の少し手前にある鳥居をくぐると、思わず息を呑む光景。小さな社は、西の断崖絶壁の上にひっそりと立つ。和銅年間(708〜715)の創設で、その昔、修験者の庵があった場所だという。誰が点すともない神社の灯明が漁船の目印になったという不思議が伝えられ、今日でも漁師たちの信仰が厚い。
 夏は漁火風景が美しい余部埼灯台は、日本で一番高い場所にある。昭和60年に建て替えられたこの2代目の灯台が、村にある唯一の近代的な建物ではないだろうか。
 御崎の人々は、地形を無理に崩さず、そこにある風景を守ろうとしているような姿勢が感じられる。だからこそ、訪れた人はこの土地の風景に心打たれ、たくましく生きた人々の暮らしに思いをはせるのだ。

平家蕪

至るところに群生している平家蕪は菜の花によく似た花をつける。春は主に葉と茎の部分を漬物にして食す。

点在する碑をはじめ、御崎には石造りのものが数多い

その昔、門脇家の子孫が拾得してきた石工の技術が、長年村人たちに受け継がれてきたそう。

3社の御神塔が建つ御崎の象徴的な場所

美伊神社

荘厳な美伊神社。谷を越える細い山道が神社まで約1.2キロメートル続く。

平内神社

百手の儀式で使われていた弓(平内神社)。現在は毎年地元の青竹で矢が作られる。