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山田風太郎の故郷を歩く<養父市関宮>(Vol.60/2006年10月発行)

うだつ、越屋根、造り酒屋の煙突…
旧家が並ぶ閑静な町並みは
作家・山田風太郎が育った懐かしの風景

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山田風太郎の故郷を歩く<養父市関宮>

 関宮という地名の発祥は1350年以上前までさかのぼる。その昔、西国で悪病が流行した際、天皇は都に病が入らないようこの地に宮を建て素戔嗚命を祭った。その功あって病をせき止めたので、関宮という宮号になったのが今の関神社だそうだ。
 関神社の境内は、その威厳を示すように大木が生い茂る。ひと際高くそびえるのは市の天然記念物に指定されているカヤの木。明治時代の道路工事で幹の一部が地中に埋まったというが、樹高は30メートルに達する勢いだ。本殿の横の順路に沿って、学問・商売・安産などの神を祭った小宮が並ぶ。古くから村人の信仰が篤く、いつしかそれらの宮が増えていったという。
 作家の故山田風太郎も幼い頃この神社を訪れることがあっただろうか。祭りの時には境内で芝居が披露されることもあり、大人も子どもも楽しみにしていたそうだ。
 地元・但馬でも意外と知られていないが、養父市関宮は忍法帖シリーズなどを執筆した山田風太郎(本名・山田誠也)の出身地。幼少期の十数年を過ごした生家を初め、ゆかりの建物が点在している。
 平成15年にオープンした山田風太郎記念館は、彼の通った旧関宮小学校の跡地に建つ。当時運動場の隅に植えられたというイチョウの木が今は大きく成長し、記念館を見下ろしている。
 風太郎の家までは約200メートル。幾度となく往来した通学路を辿ってみる。道の脇にはきれいに積み上げられた石塀と細く延びる水路。造り酒屋の煙突がのどかな風景にとけ込む。生家の隣は明治創業の銀海酒造だ。
 懐かしい旧家の並びには伝統的な越屋根造が見られる。かつてこの辺りには養蚕農家が多かったそうだ。うだつの上がった格式高い生家は、風太郎が5歳の頃に江戸時代の陣屋跡から移築された。(実際の生家はその向かいに建っていた)山田家は代々続く医者の家系で村の名家だったという。ほとんど消えかかっているが、玄関には今も「山田醫(医)院」と書かれた当時の表札が残っている。 
 晩年、「子どもの頃をよく思い出す」とインタビューで語っていた風太郎。幼い頃に両親を亡くし、故郷に複雑な思いを抱いていたはずだが、「何もないところなのによく飽きもせず遊んだ」と懐かしく振り返っていた。
 当時とほとんど変わらない姿をとどめる建物や通り、そして豊かな自然。今も子どもたちの絶好の遊び場が隠れている。

山田風太郎生家前の通り

創業以来100年にわたり手づくりにこだわる銀海酒造

山田風太郎記念館

記念館には自筆原稿や愛用品のほか、貴重な初版本や映画ポスターを収蔵。昨年秋は「甲賀忍法帖」を映画化した「忍-SHINOBI」を全国公開と同時に上映し、たくさんの人が訪れたそう。

今では珍しくなった越屋根が何件か見られる

うだつに虫籠窓の風太郎の生家