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迷路のような路地と箱庭の町並みに出会う<新温泉町居組>(Vol.71/2009年7月発行)

家々が寄せ合って建ち並ぶ居組の町並み
入り江に浮かぶ2つの小島が漁師町のシンボル
細い入り組んだ路地が町歩きの楽しさを伝える

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迷路のような路地と箱庭の町並みに出会う<新温泉町居組>

  のどかな漁村の風景が広がる新温泉町居組。兵庫県の最北西端に位置し、七坂八峠と呼ばれる険しい峠道を越えると、そこは因幡の国・鳥取県へと通じる。かつてはこの坂を歩いて、鳥取まで海産物の行商に出向いていたそうだ。
 古くから天然の良港として発展してきた漁業の町。鎌倉時代に記された土地台帳である『但馬国大田文』にも「伊含浦(港)」との呼称があり、江戸時代には北前船の風待ち港として重用された。
 また、戦国武将、細川藤孝(幽斎)が丹後宮津から九州征伐へ参陣する途中、船を停泊して一夜を明かし、和歌を残したという。
 漁港の北にある「不動山」には「綱掛」という地名があり、船を係留した石杭の跡が今も佇んでいる。大型漁船に対応すべく、昭和45年に現在の居組漁港が誕生するまでは、この場所が港として機能していたそうだ。
 この円錐型の小島は居組のシンボルというべき場所。不動明王を祀り、海上安全や豊漁祈願の神として、毎年4月28日には例祭が開かれ、漁業者を中心に信仰されてきた。現在は船でしか行けないが、昭和30年頃までは吊り橋から歩いて渡ることができ、子どもたちの遊び場だったそうだ。
 集落に入ると、民家が所狭しと軒を連ねる。「入り組んだ土地」が地名の由来とも言われ、1メートル幅ほどの路地が迷路のように走る光景は、まさしく裏路地探険。初めて訪れた者はその方向感覚を失うほど、四方八方に路地が駆けめぐっている。漁村特有の焼き板壁の家屋が建ち並び、独特の風情を醸し出す。
 居組の町で一際異彩を放つ赤レンガ塀の家は、明治の鉄道建設の美談を伝えるもの。山陰本線・陸上トンネル工事の際、当時の建設従事者がお世話になったお礼として建てたそうだ。集落内にある龍雲寺の境内には、鉄道工事遭難病没追悼碑が佇み、山陰本線の難工事を今に伝えている。
 町のはずれ、旧居組小学校内に隣接する大歳神社は、貞観3年(861)の創建と伝わる古い神社。毎年10月9日の例祭には、家内安全や無病息災、五穀豊穣を祈願して、県の重要文化財である「居組麒麟獅子舞」が奉納される。元々は鳥取県から伝わった芸能で、獅子が飛び跳ねたりする激しい舞が、居組の獅子舞の特徴となっている。
 穏やかな入り江に、寄せ合うように家々が建ち並ぶ居組の町並み。案内役の段さんは、居組を「箱庭の村」と称した。七坂八峠の登り口にある魚見台公園は、集落を見渡せる場所。ラクダのコブのように浮かぶ2つの小島、青い海、連なる瓦屋根…、まさに「箱庭の村」が絵はがきのような景色として広がっている。

国道178号・七坂八峠から居組の町を望む

夏はイカ釣り漁船の漁り火が灯り、絶好の撮影スポットとなる。不動山(左)と亀山(右)は、村のシンボルとなっている。

俳人・西村蓼花(りょうか)の句碑

魚見台公園に佇む居組出身の俳人・西村蓼花(りょうか)の句碑と龍神社。龍神社は八大龍王を祀り、漁師の守護神として、秋に例祭が行われている。

漁港の西側に広がる居組サンビーチ

現在の漁港一帯は遠浅の砂浜が続く海水浴場だったが、昭和45年の改修工事により、西の大戸の浜にビーチが新たに設けられた。

路地裏

大通りから1本路地に入ると、家々の間を縫うように細い小道が何本も走っている。まるで迷宮に入り込んだようで、かくれんぼをするには最適の場所。

レンガ塀

明治末期、山陰本線のトンネル工事に従事した人々が、お礼として建てたレンガ塀。居組には2軒残っている。長手と小口のレンガが順に積まれるフランス積で、今も頑丈にそびえている。

龍雲寺

慶長元年(1596)に開山したと伝わる曹洞宗「龍雲寺」。明治12年の大火で、本堂などを焼失したが、鳥取藩・池田家の菩提寺であった鳥取市栗谷の龍峰寺を移築して再建された。本堂の懸魚に徳川家の「三つ葉葵」。蟇叉(かえるまた)には、鳥取池田家の家紋「揚羽蝶」が彫られ、鬼瓦も保存されている。また、用材は全て当時の銘木「みずめ桜」が使用されている。

集落内に残る立派な土蔵

軒下には火事除けのため、「水」と記した紋が刻まれている。

大歳神社

10月9日に麒麟獅子舞が奉納される大歳神社。境内にはシイ・タブノキなどの古木が生い茂っている。