全国的にも稀少な水生植物や昆虫が息づき
コウノトリが餌をついばむ環境豊かな田結の村
お千度参りや齋衆など、古い風習が今も残る
平成20年、コウノトリが舞い降りたことで、注目されることになった豊岡市田結。豊かな生態系が保たれている日本でも貴重な場所として、東京大学を始めとする研究者たちが度々調査に訪れている。
津居山湾の東側、日本海に面する田結は、世帯数50戸ほどの小さな集落。高度成長期の頃までは半農半漁で生計を立て、集落の谷筋には15町歩の田畑があった。
しかし、生活様式の変化や鳥獣被害などで田んぼを作る人間がいなくなり、平成18年を最後に休耕田へと姿を変えてしまった。
ところが、豊富な湧水や鹿による表面の踏み荒らしなどは、コウノトリが好む、樹木が密集していない明るい湿地を保つことになった。湿地では、絶滅危惧種の水生植物や昆虫と出会うことができる。
「特に珍しいといわれたのは、オオアカウキクサ。但馬型が見られるのは田結だけだそうです。トンボだけでも約40種もいるんですよ」とは、区長の島本又治さん。
コウノトリが舞い降りたことをきっかけに、地元では村総出で餌場となる湿地作りを始めた。
また、勉強会や研究者の受け入れ、学生の環境学習などを積極的に行うなど、地域活性化につなげようと村全体で盛り上げている。
昨年7月には円山川下流域が、ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の条約湿地に登録。集落に訪れる人が増える中、女性たちによるガイド「案ガールズ」も発足した。
探検当日、案内をお願いした副区長の大島克幸さんは、「田結は昔から団結力が強い土地柄」と話す。集落には寺院が1つしかないこともあり、宗教的な結びつきで団結が保たれてきたという。今でも葬式の際には齋衆と呼ばれる人々によって取り仕切られ、地区で葬儀を行う「外弔い」の慣習が残っている。
また、高台にある八坂神社では、年に3度、本殿の周囲を回りながら、千本の竹札を奉納する「お千度参り」が行われる。身内の大病や手術などでは、その都度、回復を願ってお千度さんをするそうだ。
さらに、大正14年の北但大震災でも団結を示すエピソードが残されている。全83戸中82戸が倒壊する被害を受けた震源地の田結。それに先立つ明治24年、大火に見舞われたこともあり、住民は救助より、養蚕で使用していた焜炉の火を消して回った。他地区が火災で多くの死者を出す中、7名の圧死者を出すにとどまったという。
今でも田結は防災の意識が高く、共同井戸や火の見やぐらは現役で使われているそうだ。
「コウノトリが選んだ村」として、新たな交流が生まれた田結。研究者は「村総出で出迎えてくれることがうれしい」と話すそうだ。まさに「田」が「結」んだ“縁”をコウノトリが運んできたのかもしれない
元々はジル田と呼ばれる湿田であった田結の湿地。今も栄養の少ない明るい湿地が保たれている。稀少な水生植物はもちろんのこと、ホタルもゲンジ、ヘイケ、ヒメボタルと3種同時に見ることができる。
願かけ地蔵として、いつの頃からか、トウガラシを供えてお参りすると、ひとつだけ願いが叶うと伝えられてきた。
氏神である八坂神社(正面)は、京都の祇園社から分霊をお迎えしたもの。元々は村の要所にあった他の4社も、現在は同じ場所に祀っている。北但大震災の追悼や成人式、防災祈願の年3回、お千度参りが行われる。
細い路地が入り組む田結のまち並み。海沿いの町特有の焼き板塀の家が軒を並べている。
田結のシンボルである大島。かつては海面にあった。
西光寺は高野山真言宗の寺院で、かつては背後の山中に本坊があったとされ、中世に里に降りたと伝わる。寺を中心として、集落が形成された。本堂の前には「弘法大師の足跡」の石が置かれている。
昔から名産であった「神水わかめ」。肉厚で、味と香りがよいと重宝されている。毎年、5月下旬には「わかめ祭り」が催される。
風谷古墳の天井の1枚岩の巨石。海と関わりの深かった豪族の墓とみられている。