山の中にあるのに「海」が付く不思議な村
美しき棚田と渓谷…、のどかな風景が広がる
「但馬杜氏」と「但馬牛」の伝統が今も息づく
兵庫と鳥取の県境、扇ノ山山ろくに広がる上山高原。ブナ林とススキ草原で知られるこの高原へ向かう山道の途中、集落が突如と現れる。標高350〜400メートルの山あいに位置する新温泉町海上は、43戸が生活する小さな集落だ。
まず驚くのがその地名。「山の中なのに海上!」と、訪れる人は誰もが疑問に思うそうだ。その謎を解くカギは、古くから残る村の伝承が教えてくれる。
その昔、海上の北西に位置する牛ヶ峰山が崩れて小又川がせき止められ、この地が湖のようになったそうだ。村の人は湖に浮かぶ児嶋に家を建て、村を湖の上と名付け、いつしか「海上」と呼ばれるようになったとされる。その後、山崩れでできた湖の水は土手を破り、流れ出たと言われる。そのことを裏付けるかのように、周辺には児嶋、湊など水に因んだ地名が多い。
また、氏神である児嶋神社も、湖があったことを示す言い伝えが残っている。神社は石の丘に建っており、かつてこの石は牛ヶ峰山から落ちてきたものとされる。海上側の山頂には大きくえぐられたような跡があり、山すその石と神社の石は同種の物であるそうだ。
「静かで環境のよい集落ですが、冬はきびしい。積雪は2メートルを超えることもあります」とは、案内役の尾崎美津人区長さん。交通の便がよくなる前、村の男たちは半年、棚田で米を作り、残りの半年は酒造りへと出稼ぎに出ていた。
「出稼ぎ者は村を豊かにする貴重な存在だった」と、村の人々はその苦労を労う。婦人消防隊があり、男たちのいない冬場は女性たちが村を守ったそうだ。最盛期には40人もの杜氏と蔵人がおり、現在も4人が但馬杜氏として活躍している。
村の主な産業は米作り。小又川渓谷沿いに20町歩の棚田が広がっている。トラクターなどがない時代は、どの家でも1頭は役牛を飼い、玄関横の母屋に1年1産の子牛とともに愛情をかけて育てられていた。名和牛「但馬牛」の原点であるこの光景は、農業の機械化により多頭飼育へ変わり、海上でも家族飼育は1軒を残すのみとなっている。
海上の棚田は渓谷の清水と寒暖の差の激しい気候により、美味しいお米が穫れる。棚田米「うみゃーなぁ」として人気を得ている。
平成21年には県が推進する「小規模集落元気作戦」のモデル集落に選定され、地域活性化を検討。2年前には交流拠点施設として「うみがみ元気村」をオープンさせた。地元のお母さんが作る郷土料理や農産加工品を直売し、地域の人や上山高原を訪れる人の交流の場として常に笑顔が絶えない。
時が止まったかのような風景に出会える海上集落。のどかな環境が人を作るのか、海上の人たちはみな気さくな人ばかり。「もう1度訪れたい」と思える村であった。
氏神であり、児嶋権現を祀っている児嶋神社。毎年、大晦日には願いを込めて、住民が手作りした千羽鶴が奉納される。大杉や椿などが生い茂る鎮守の森が残る。参道石段の登り口に立つ大イチョウは、樹齢300年とされる巨木。
火山灰の中に埋もれ半分化石になった太古の杉「神代杉」。約2500年前のものと推定。
うみがみ元気村は、平成23年4月にオープンした交流拠点施設。農産物の直売の他、牛肉うどんやぜんざいなどの料理も提供している。11月には収穫祭も開催。24時間利用できる休憩スペースを開放しており、上山高原や小又川渓谷の滝めぐりに訪れる人々に重宝されている。※水、土、日曜のみ営業(5人以上の予約があれば臨時営業)。
元々は牛ヶ峰山頂にあったとされる「牛峰寺(ぎゅうほうじ)」。役行者が但馬と因幡の国が一望に見渡せ、朝日を1番に拝める最高の山として、山岳信仰の守り神である蔵王権現を祀ったことが始まり。各村を転々とした後、現在の地を本坊とした。兵庫県香美町の三川山、鳥取県三朝町の三徳山と並び、「山陰の三大権現」として信仰が篤い。本尊の蔵王権現像は町の文化財に指定されている。
郷土芸能である「海上傘踊り」は、江戸末期に始まった雨乞いの踊り。鳥取県から伝わったとされるが、踊りも歌も独自に発展を遂げている。小学1年生になると教えられ、村の男性は誰でも踊ることができる。切れのあるダイナミックな所作は見応えがあり、傘に付けられた鈴の音が小気味よい。海外公演も行っており、フランスのニースではアンコールが起こる盛況ぶりだったそう。現在は8月14日のお盆に披露される。
集落の入り口にある「六地蔵」は、地元の人2名による手作り。愛媛県まで習いに行き、冬の農閑期にコツコツと彫り上げた。屋根の石板も手作りで、皆が平和に暮らせるようにと、平成20年に建立した。
上山高原のススキ草原復元のために伐採した雑木を白炭にしている炭焼き小屋。白炭は上山高原ふるさと館で販売している。
今では珍しくなった但馬牛の家族飼育。