風光明媚な海岸線が続く海辺の漁師町…
但馬松島や動物の足跡化石、漣痕化石など、
日本海形成のドラマを垣間見る地質遺産
断崖、洞門、岩礁など様々な表情を見せる、国指定の名勝「香住海岸」。中でも香住湾の西側に位置する香美町香住区下浜は、日本海の雄大な景色が望める風光明媚な場所。
集落内には38軒の旅館・民宿が軒を並べ、夏の海水浴、冬のかにシーズンには多くの観光客が訪れて賑わいを見せている。
以前は大半の家が半農半漁で生計を立てており、冬場は出稼ぎに出ていたそうだ。
近年では山陰海岸ジオパークのテーマである日本海形成から現在に至るまでの多様な地形・地質を間近で感じられる場所としても人気がある。
「下浜のよい所は海岸線が長いこと。変化に富んだ海岸美が自慢です。磯場は子どもの頃、格好の遊び場でした」と、案内役の松下弘行さん。
三田浜海水浴場まで続く道は「希望の道」と呼ばれ、散策道として整備されている。途中にある「地蔵鼻」にはあずまやが設置されており、そこからの眺望は日本海と弁天島、四ッ島といった島々とのコントラストが大変美しく、「但馬松島」と呼ばれる絶景を楽しませてくれる。
集落の人もあずまやまでわざわざバイクで乗りつけ、ウォーキングに出かけるそうだ。
漁港の南側にある「平島」は、波の侵食によって平らになった波食棚が広がる場所。釣りのスポットであるこの地は、平成15年に「動物の足跡化石」が発見されたことで、一躍注目されるようになった。
今から約2千~1千7百万年前の日本列島が大陸から切り離された頃のゾウ・サイ・シカなどの仲間の足跡化石が見つかったことで、この辺りは川か湖だったと考えられている。水辺に集まった動物たちが残した足跡は、日本海形成の謎を解き明かす重要な手掛かりとなっている。
一方、集落内に入ると、焼板塀の家々が肩を並べ、細い路地が入り組んだ港町特有の町並みを見ることができる。迷路のような路地は旅の好奇心をかき立て、丸形のポストや舟屋の名残りをとどめる家屋など、どこか懐かしい雰囲気が町全体に漂っている。
冬は雪景色、夏は漁火と四季折々の表情を見せる下浜の海岸線。喧噪から離れて、のんびりと散策するには格好の場所である。
あずまやの向かいにある「漣痕化石」は、調査により、流痕であることが分かった。流痕は湖や川の底にできる水流の痕で、淡水魚の化石が発見されていることから、この地には淡水の環境があったことが分かっている。
但馬松島や香住湾、白石島などの景観が望める「地蔵鼻」。お地蔵さんが安置されていて、別名「アゴなし地蔵」と呼ばれる。地元では歯痛が治ると伝承されている。姨捨伝承が残る「ばば落とし」では、岩の割れ目から吹き出す波が圧巻。
地蔵鼻から見る「但馬松島」の光景。弁天島(右)はライオンが伏せているように見えることから「ライオン島」とも呼ばれる。島内には海上の守護神である弁天さんが祀られ、漁に出て行く漁師たちの安全を見守っている。
平島周辺に残るかつての舟屋の面影が漂う家屋(右)。護岸整備されるまではこの辺りまで海だった。また、集落内には焼板塀の家々が軒を連ね、漁師町の佇まいを見せる。
帝釈寺は、大宝2年(702)に法相宗の開祖である道照上人によって再建されたと伝わる古刹。江戸初期の作庭とされる庭園は小堀遠州に共通する点が多く、特に石組みが美しい。桜の名所でもあり、3月下旬には珍しい五色椿が境内裏手に花を咲かせる。
本尊である帝釈天が下浜の平島に流れ着いた時、枕にして横たわっていたと伝わる「枕石」。記念として石を切り取り運ばれた。
永禄元年(1558)建立の西迎寺。境内に湧き出る「洗心甘露水」は海に近いにも関わらず塩分がなく、名前の通り、甘みを感じる名水。
持ち上げられたら、一人前の男とされる。角のないタマゴ形なので、コツがいるんだとか。