「立町千軒」と江戸時代に栄えた金山の村
山あいにひっそりと佇み、静かな時間が流れる
ほたるが乱舞する清流沿いの山村を歩く
城下町出石から南へ約10分、清流が流れる奥山渓谷沿いに車を走らせると、床尾山の山ろくにひっそりと佇む奥山集落が見えてくる。
豊岡市の最南部、朝来市との境に位置し、北近畿豊岡道「和田山IC」まで約20分。市街地から遠く離れていないにも関わらず、まるで秘境ともいえるのんびりとした山里の風情が残っている。
かつては金山町として栄えたという奥山地区。集落の西にある登山道は金山跡へ通じ、今でも6カ所ほどの坑口跡が確認されている。
その歴史は古く、慶長17年(1612)、時の出石藩主・小出吉英公が奥山金山として開坑し、金の他に銀や銅なども採鉱されたという。大正末期からはほとんど採鉱されることもなく、昭和58年に廃坑となった。
しかし江戸時代初期には活発に採鉱されていたそうで、鉱山跡周辺の地名には「立町千軒」と往事の言い伝えが残り、たくさんの鉱夫が住んでいたとされる。
「1番大きな坑口跡が、平成16年の台風23号により土砂で埋まってしまったが、平成24年、延べ40人のボランティアの協力によって再び、坑道に入れるようになった。坑跡には立坑やはしごなどが当時のままの姿で残っており、今後、村おこしの目玉として活用していきたい」と話すのは、案内役の徳網武男区長。
大正期には40戸近くあった家々も、今では7戸にまで減少した。まさに廃村の危機にある現状だが、平成23年からは県が推進する「小規模集落元気作戦」のモデル集落に選定され、集落を離れた奥山出身者も地域づくりに関われるように「奥山観光ほたるの郷」を発足させ、地域活性化に取り組んでいる。
今年の春、交流拠点となる古民家を再生した「一輪亭」と、移住者を呼び込む滞在型住宅「奥山ほたるビレッジ」がオープンした。
また、奥山を「もっと知ってもらいたい、好きになってもらいたい」との思いから、「ファン倶楽部」を発足させた。入会・年会費は無料で、交流施設の優待利用やイベント情報の発信、出石の観光施設の割引といった特典付きだ。
「子どもの遊び声が聞きたい」と、集落の活性化に挑む奥山の人々。6月21日には33回目を迎える恒例の「ほたる祭り」が開催される。時間が止まったような空間が広がる静かな山村へ、足を運んでみてはいかがだろうか。
徳神社の参道にある「なんじゃもんじゃの木」は樹齢200年を越える御神木。巨木の正体はカゴの木で、幹の間からはツバキが生えている。ツバキを抱きかかえるようにそびえ立つことから(左)、「縁結びの木」として信仰がある。
平成26年3月に竣工した交流拠点施設「一輪亭」。元は蚕を飼っていた古民家を改修しており、土間は吹き抜けになっている。いろりや厨房などがあり、今後は一般向けに会合などの活用のほか、ほたる祭りなどイベントの拠点施設として活用される。
集落の氏神である「徳神社(左)」。周囲は鎮守の森として巨木が立ち並ぶ。かつて秋祭りには、神社から階段下の境内にもちまきが行われていた。当時の写真が「一輪亭」に飾られている。
山里の暮らしを体験できる場として、平成25年にボランティアにより作られた「炭焼き窯」。
一輪亭の土蔵は出石らしい赤壁。中にはいろりがあり、大人数で利用できる。
地域活性化のため、Uターン者が始めた「手打ち蕎麦 剣」。店内には古い生活道具が展示されているほか、忍者の里にちなんだ手裏剣投げなどの体験ができる。
集落の中央にある地蔵堂は、但馬六十六地蔵尊めぐりの66番目、打ち納めの礼所である。柔和できれいなお顔のお地蔵さん。地蔵盆に大きな数珠を回す「数珠回し」の行事が行われる。
集落の中央を流れる奥山川の清流。6月はほたるの幻想的な舞が見られる。
移住者のための滞在型住宅「奥山ほたるビレッジ」。年間契約(賃料・管理費)で、田舎暮らし体験ができる。2棟が先行して建てられ、来年もう2棟が整備予定。(取材時)