「エイトー」のかけ声が村に響く菖蒲綱引き
古式ゆかしきざんざか踊りの優雅な舞い…
民俗芸能が大切に受け継がれる村を訪ねる
新温泉町の東端にある久谷地区。ここから国道178号の桃観峠を越えると、余部橋りょうで知られる香美町余部地区に入る。トンネルができる前は、峠道を行き来していた。太ももがうずくほど険しい峠だったことが名前の由来(もも(桃)を観る)とされ、「ももうずき峠」とも呼ばれていた。
「久谷」の地名は、全国的に「久」が「木」を表す地名が多いことから、燃料の採取地であったことが由来と考えられている。その名が示すとおり、三方を山に囲まれた谷筋に位置し、地区の中央を久谷川が流れている。
弥生時代から平安時代の古墳群や中世の城跡が残るなど地区の歴史は古く、香美町境にそびえる蓮台山は修験道の聖地であったとされている。
久谷地区1番の特色と言えば、民俗芸能を絶やすことなく受け継いでいることだろう。国と県に指定された重要無形民俗文化財が2つもあることは珍しい。
国指定重要無形民俗文化財の「久谷菖蒲綱引き」は、毎年6月5日の20時頃から行われる民俗行事。
前日の夕方に各戸の屋根に上げた「菖蒲・すすき・よもぎ」を、当日の昼過ぎから子どもたちが集めて回り、菖蒲綱作りが行われる。長さは40メートルにも及び、綱引きは大人組と子供組に分かれて、7番勝負を開始。古老が唄う「石場突唄」に合わせて、「エイトー、エイトー」のかけ声をかけながら引き合い、最後の7番目を「納め綱」と呼び、大人組が勝つことでその年の豊作と村の安泰が約束される。
かつては全国的に見られた行事であったが、その多くは簡略化されたり、途絶えたりしている。しかし、ここ久谷では江戸時代から伝わる綱引き行事の様子を今なお伝えている。
一方、県の重要無形民俗文化財である「久谷ざんざか踊り」は、少なくとも室町末期には成立していたと考えられる郷土芸能。氏神である「八幡神社」の秋の例祭(9月15日)に、神前や各戸へ奉納される。
踊り手は中高生8人で構成され、一列のまま唄に合わせて太鼓を打ち鳴らす。但馬の中で最も古い形態とされる華やかな一文字笠をかぶって踊る姿は、古式を偲ばせる。
「昔は踊り手も多く、久谷駅に停車する列車の乗客にも披露したんですよ。神輿が3台も出て、それは盛大なものでした」とは、案内役をお願いした岡坂峰雄さん。
久谷菖蒲綱保存会の会長も務める岡坂さんは、「両方の行事とも1度も途切れていないことが誇り。少子化により維持が大変だが、先人が受け継いできた伝統を守っていきたい」と話してくれた。
過疎化が進む中で、民俗芸能を守り続ける久谷の人々。行事当日は誰に言われる訳でもなく、自然と人が集まってくるそうだ。日本の暮らしと文化が息づく村といえる。
氏神である八幡神社の境内で奉納される「久谷ざんざか踊り」。八幡神社は石清水八幡宮より分霊をお迎えしたと伝わる。往古は蓮台山上にあったとされ、応永21年(1414)に現在地に移ったと言う。彫り物は丹波の中井権次一統による立派なもの。
八幡神社境内のスダジイは但馬の巨木に選ばれている。広葉樹林の社そうは町の文化財に指定されている。
菖蒲綱作りは村人総出で行われる一大行事。子供から大人まで一緒になって、長さ20メートルの綱を2本編んでいく。この2本をつなぎ合わせて、長さ40メートルの綱ができあがる。この日は、1日中村に活気ある声が響き渡り、綱引きのかけ声とともに賑やかな夜が更けていく。
集落の北側を通る「桃観トンネル」は、JR山陰線で最も長いトンネル(1,991メートル)。東西の坑口の上部には当時の鉄道院総裁、後藤新平の筆による石額が掲げられ、貴重な文化的遺産である。久谷側には「萬方惟慶」(萬方これを慶ぶ)、余部側には「惟徳罔小」(この徳は少なくない)と刻まれている。駅前には国鉄職員として除雪作業中に殉職した尾崎宏氏の遺徳を偲ぶ、弔魂碑が建立されている。
八幡神社の参道には明治の山陰線工事での犠牲者を祀っている招魂碑がある。27名の犠牲者名が刻まれており、その中には朝鮮人7名の犠牲者も一緒に祀られている。
菖蒲綱引きが平成元年に国の重要無形民俗文化財に指定されたことから建てられた「久谷民俗芸能伝承館」。現在の天皇陛下が即位された際には東京銀座の通りで、ざんざか踊りが披露された。館内にはその際の記念品も展示されている。
室町時代後期のものとされる「五輪塔」。言い伝えでは源平合戦の落ち武者を供養したと伝わる。塔が建つ場所は戦国期の居館と城の一角があった場所でもある。