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大正ロマンのただよう街角から<養父市八鹿町>(Vol.30/1997年11月発行)

但馬のおヘソ、但馬の交差点
ぎゅっと詰まった町並みがあたたかい
「道」と「水」と「石」が暮らしの文化を語る

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大正ロマンのただよう街角から<養父市八鹿町>

 但馬のおヘソとも言うべき、但馬の中央部に位置する八鹿町。「道」ができれば町ができる。各地を結ぶ主要道路が交差するこの町には、何度となく変遷された道に沿って当時の面影を偲ばせる町並みがいくつかある。
 JR八鹿駅前から八木川左岸に沿った商店街は、山陰線の開通と道路整備が行われてから著しく発展したエリア。明治から昭和にかけて但馬の養蚕の中心地として栄え、生糸取引の商いで隆盛を誇った時代、「大正ロマンのただよう町」と評され、モダンな建物が多く残る。西洋文化を独自のものとして捉え、大きなガラスやタイルなど独創的な施し方がされている。「うだつ」の数も多く、数では八鹿町が日本一という調査報告もある。まさしく、うだつを上げた八鹿商人の証のようだ。
 道をはさんで会話ができるような道幅の両側に、軒がふれあうように商店街が続く。八百屋、肉屋、薬局、お茶屋など、あらゆるお店が並ぶ。履物店とか洋装店といった昔ながらの言葉で表現したお店もあり、どこかおくゆかしさが感じられる。所々にシャッターを閉める店もあるが、少しカーブしている道を歩くのは、変化があっておもしろい。
 時折、お店の切れ目に人が一人通れそうな路地がある。八木川の河川敷に続く裏路地だ。川がとても近い。「水」の流れ、せせらぎが聞こえる風情は、この町のもう一つの特徴だ。昔、上水道として整備された「洗いと」は、現在、八鹿町内では、わずかに利用されているだけとなってしまったが、コンクリートのブロックの切れ目から、心地良い水音を聞かせてくれる。喉を潤し、野菜を洗う生活の場であり、あいさつを交わす社交の場として活用され、水を通じての文化を育んできた。
 向かいは、山側へ続く路地。山もまた近い。高い石積みの上に家が建つ。よく見ると丸い石が器用に、しかも頑丈に積み上げられている。山や川から拾った石を積みあげたもので、大変難しい技術が必要とされている。ここにも「石」の文化が一つ。 川原に行けば、驚くほど丸い石がゴロゴロと転がっている。大きい石も小さい石もとにかく一様に丸い。中でも、ひときわやわらかく緑灰色のつるつるとした石は、蛇の腹の模様に似ていることから「蛇紋岩」とよばれ、 古くから石仏、石碑、建物の土台などに広く用いられ活用されている。
 歩きながら「ホッ」とさせられる光景に出会う。小さな黒板に白墨で書かれた池田草庵・東井義夫先生などの一編の詩。何かを話かけられたようでドキッとする。アスファルトに描かれた飛び出し注意、一旦停止の「止まれ」マークの多さにもびっくり、微笑ましさが伝わってくる。生活の匂いを感じさせる町並みだ。
 商店街を抜け八木川にかかる橋を渡ると、通って来た町並みを反対から眺める光景が広がる。何とも気持ち良い風が吹き抜けてくる。
取材協力:ようか路上探検風倶楽部
※記事の内容は1997年11月掲載当時のものです。

うだつ

もともとは延焼を防ぐために屋根の両側に作られた防火壁だったが、時代とともに家格や身分、富の象徴になった。裕福になればうだつを上げられるということから、成功する例えとして「うだつが上がる」という言葉ができたそう。

名言黒板

昔から続けらている名言黒板。ドキッとするような一言が、心に響く。

橋から見る景色

川向こうから眺めた風景。造り酒屋の長い煙突が象徴的。商店街の賑やかしい町並みとは違った趣がある。