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海が見える路地<豊岡市竹野町>(Vol.32/1998年7月発行)

その昔、数百石もの塩を産出した浜
北前船で栄え、異文化を受け入れてきた町
板塀に隠された歴史をたどる

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海が見える路地<豊岡市竹野町>

 竹野川の河口にある港から鷹野神社、ジャジャ山公園へ向かって、竹野浜と平行するように町中を横切る路地には、真っ青な海が顔をのぞかせるいくつかのポイントがある。
 竹野浜は、白砂遠浅、夏には、昔ながらの浜茶屋が建ち並び、どこかなつかしい光景を見せる海水浴場。毎年、約35万人の海水浴客が訪れ、路地を水着姿や素足で歩いても違和感がないような賑わいを見せるが、季節外れの通りは静かでおだやかな表情を見せる。
 路地の吹き溜まりには砂がたまり、海と密着した町並みは、多くの家が潮風をさえぎるように、杉の表面に焦げ目をつけた焼き板で覆われている。剥がれ落ちた焦げ目の跡が、海から真っ直ぐに向かって吹いてくる潮風の強さを物語っている。
 一見、同じように見える板壁の佇まい。しかし、その板の下には、かつて、味噌蔵、醤油蔵といわれた蔵がある。竹野は、江戸中期から明治末期にかけて、大阪から瀬戸内海、北海道へと往来した北前船で栄えた里。「竹野の大浜」と呼ばれ但馬の代表的な廻漕業の村として繁栄してきた。今も残るいくつかの蔵は多くの船乗りをかかえていた船主の隆盛ぶりをうかがい知ることができる。家の中には航海の安全を祈る大きな神棚が据えられ、日本各地の港から持ち帰った多くの珍しい調度品であふれていた。中には庭に灯籠を据えるなど変わった施しも残されている。
 現在、海水浴客で賑わう浜辺も江戸時代は、数百石の塩を納める塩浜として、また、海岸防備の拠点という観点からも重要な地とされてきた。幕末、浦賀に黒船が来航した時も、北の要衝として警備を強化したと言われている。
 この町独特の屋号に「加賀屋」「松前屋」「備前屋」、「〜右衛門」「〜左衛門」などがある。多くの人々は今もその名を親しんで呼ぶ。他の地方から嫁いで来た者、移り住んできた者、あらゆるものを受け入れてきた。海の道を伝い影響を受け育まれてきた町。この町の気質はおだやかで温かい。
 年に数回、海と空の境が見えなくなる日があるという。歴史をたどりながら歩いた板塀が続く入り組んだ路地の向こうに、ぬけるように青い空と深く蒼い海が顔を覗かせる。
 惹かれるように浜辺へと向かう。路地の切れ目から潮風がふわっと吹き込み、つぎの瞬間視野いっぱいに青い海が飛び込んでくる。いつもの、この町特有の海を実感する瞬間だ。
※記事の内容は1998年7月掲載当時のものです。

海が見える路地

いくつもポイントがある

この町では止まれマークも裸足

竹野の文字と北前船をイメージした街灯

洗濯物を干すように魚が軒下に吊されている

潮風にさらされ焼き板の焦げ目が剥がれ落ちていく

ひっそり佇むお地蔵様

鷹野神社の境内に寝そべる牛の石像

宇日神社の彫り物