浜辺の坂道に甍の波
迷路のように入り組んだ狭い路地
辻󠄀からのぞく新鮮な風景
「浜坂」の地名に由来するように「浜」に「坂」のあるまち、日本海に流れ込む岸田川の河口近くには、こんもりとした丘陵地がひろがっている。迷路のように入り組んだ路地にぎっしりと家が建ち並び、独特の町並みをつくり出している。
陸路が発達するまでは、岸田川河口は回船業で栄え、港は町の玄関口として賑わっていた。中世には山名氏の将、塩冶氏が芦屋城を構え、江戸時代には豊岡藩の管轄にあり、浜坂にお蔵所が置かれていた。江戸後期より縫い針業が盛んになると、商業とともに隆盛を極め、町屋や庄屋屋敷など、当時の面影を彷彿とさせる町並みが残されている。
なだらかな丘陵地の裾に沿うように流れる味原川のほとり、あじはら小径に、その静かな佇まいを見ることができる。味原川は、岸田川河口にそそぎ込む川。舟だまりがあり船が着いた。大水や海が荒れた時には、この川に面する各道に引き入れ避難したと言われている。高い石垣に白壁、立派な構えの家が並ぶ。浜坂町先人記念館「以命亭」もこの一角にある。
明治の教育者、森梅園の生家で、約300年10代にわたって、商業と酒造業を営んでいた家屋を改修したもので、 浜坂の歴史や文化を伝える資料館となっている。
あじはら小径から細い坂道を上がり、湯量豊富な天然温泉「ユートピア浜坂」の前を通り、少し進むと坂道のほぼ頂上、カギ型の辻につきあたる。外部からの 侵入を防ぐためにつくられた複雑な路地の一つ。狭く入り組んだ路地に、多くの民家が密集して建っている。なつかしい風景と新しいものが混在する不思議な空間。何年も佇んでいる蔵の傍らに、竹輪の製造工場、漁師町。現在は閉められた町屋の銭湯。トロ箱が並んだ魚屋さん。浜へ向かって坂道を下るにも、路地はさらに迷路のように交差していく。迷い込んだ角にタイルのウインドウケースのある酒屋さんを発見。
やがて、路地を下りて行くと浜へと抜ける気配、海が見える辻には竜宮さんが祀られている。回船や漁業など海を生業とする人々は、えびすさん、竜宮さん、柱松の荒神さんなど、神々への厚い信仰心を持っていた。それは感謝という心で、何か事業がある度に「おかげなわ」といって、一日共同出漁をし、その水揚げによってまかなってきたと言う。昭和30年代まで、浜辺では、竜宮祭りに奉納相撲が行われていた。竜宮さんの側にある青年会館も大正の頃、漁業青年団と漁業者によって建てられたもの。ガラス越しには、海の天候を予測する気圧計が据えられている。今でも漁師さんが、のぞき込みその目盛りを読むという。
海と係わってきたまち。何年も変わることなくある風景や路地に、同じような時の流れを感じることができる。辻につきあたるのがおもしろく、左右を見回すと昔からあるものなのに、新鮮で興味深い空間として飛び込んでくる。
※記事の内容は1999年11月掲載当時のものです。