古代から人々が暮らし
山の心を守り伝えてきた
高原リゾートの村を歩く
ふもとから鉢伏高原の東尾根の山道を登り、「Welcome Higashi Hachibuse」のアーケードをくぐると、山間の風景から、突如、民宿やロッジ・コテージが建ち並ぶ高原リゾート村が出現する。氷ノ山・鉢伏山のふところにいだかれた養父市別宮は、その地理と気候から6つのゲレンデを有する関西でも有数のスキー場・高原の町として知られている。その中にあって、「ハイパーボウル東鉢スキー場」は、林立する宿泊施設に一番近いスキー場、早くからスノーボードを全面解放し、ボーダーにも注目のゲレンデとして人気を集めている。
昭和初期からスキー場として開かれ、集落の中ほど、狭く入り組んだ急な坂道の両脇には、昔ながらの民宿が建ち並ぶ。一見、普通の民家にも見えるが、大きな家の構えに屋号を掲げ、建物の横や屋根からはニョッキリと煙突が突き出す。看板が多いのも特徴、民宿を経営する家は一時期より減ってきているが、看板のデザインや色合いに、永年にわたって多くのスキーヤーを我が家に受け入れてきた月日を感じさせる。
一方、ロッジやコテージが建ち並びリゾート村の景観を作りだしているのは、昭和44年、集落を迂回するように新設された、日本で第1号の農免道路沿いの一角。この道路の敷設によって、別宮の秘められた歴史が一つ明らかにされた。工事にあたって、約9000年前の縄文遺跡が発見されたのだ。標高692メートルの丘の上に営まれた住居跡で、土器片や石鏃、石斧など約3000〜4000点が出土し、大昔から人が住み、草や木の芽を摘み、木の実を集め、狩りをして暮らしていたと考えられている。兵庫県下最古の縄文遺跡で、県指定史跡となっている。
別宮の歴史をたどると、地名は京都八幡市の石清水の分身を祀る別宮であることに由来し、かつては熊次地区の総氏神であったといわれている。また、古くから伝わる伝統行事としては、1月9日の「お綱打ち」がある。早朝から男たちが大綱を作り、村中が上と下地区に別れ綱を引く。勝負は豊作になるという上地区が勝ち、綱は村を一望する大きな2本のケヤキの木に結びつけられ、カリマタの田の方からくる悪魔を鎮めるとされる。最後はみんなで大神様へ向かって大声で叫ぶというものだ。
古代から人々が住んでいた山間の里ではあるが、田畑は限られた山の斜面に切り開かれている。火山灰の黒い土、集落から少し離れた大カツラのふもとには、幾層にも連なった棚田がひろがる。大カツラから湧き出る清水で満面の水を湛え、田植えの頃には、谷向かいの頂に雪を残す氷ノ山が映しだされる。
現在、東鉢伏では「関宮deグリーンツーリズム」をテーマに、棚田オーナー制や自然体験、遊ぶ、名所・旧跡をたどるプログラムに取り組んでいる。季節はグリーンシーズンへ、テニスコート、グラウンド、自然をステージにスポーツや音楽の合宿、林間学校の若者たちを受け入れる準備も万全、高原には若葉が芽吹き、ラベンダー畑からは甘い香りがただよいはじめている頃だ。
※記事の内容は2001年7月掲載当時のものです。
別宮の地名にも由来する八幡神社にお参り。勝負の神様ともいわれる。
気分は縄文人、別宮家野遺跡で。
大正から昭和を中心に但馬の農具や生活用具を展示している。予約で見学可能。
大カツラの下で一休み。1本の幹から大小100近くの幹が生えている。左巻きでメスの木といわれ、根本からは清水が湧き出している。
大カズラの湧き水を湛えた棚田、谷向かいの残雪の氷ノ山が逆さに映し出される。
鐘のような花をつける高原植物。茎や葉の白い毛に朝つゆが光る。
龍を形取り、綱の上には北を指す弓が掲げられている。
イラスト入りの屋号、ひょうごの民宿看板、旧公民館のサイレン信号を現す看板、バス停の標識と同じサイズの飛び出し坊や、民宿に多い火気厳禁の看板。