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舟小屋の里 楽々浦を歩く<豊岡市城崎町楽々浦>(Vol.61/2007年1月発行)

穏やかな楽々浦湾に佇む社と鳥居
ひとつだけ願いを叶えてくれるというお地蔵さん
水辺に舞い降りた水鳥たちが旅情を誘う

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舟小屋の里 楽々浦を歩く<豊岡市城崎町楽々浦>

 円山川河口右岸に、大きな口を開く入り江「楽々浦湾」。ひょうたんの形に似ていることから、「倒瓢湖」とも呼ばれている。冬の楽々浦湾は野鳥の宝庫。底冷えのする日は、水面に雪氷りが覆うという。真っ白な雪と川面の黒が絶妙のコントラストを醸し出し、墨絵で描かれたような世界が広がるそうだ。
 楽々浦の地名は、この地の氏神である三嶋神社の祭神に由来するという。言い伝えによると、古代は「三島」といわれていたが、「佐々宇良毘売命」「佐々宇良毘古命」が居住したことにより、「ささうら」と呼ばれるようになった。
 「楽々と書いても、楽しいばかりの場所ではありませんよ」とは、案内をしてくれた区長の川崎さん。湾は自然の遊水地であったことから、大水で氾濫した円山川の水が流れ込み、幾度となく水害に悩まされてきた。民家の土台に見られる堅固な玄武岩が、その歴史を物語る。ほかにも、水にまつわる伝説や場所がいくつも残っている。
 集落前の岸壁に寄り添うように建つ3棟の舟小屋は、楽々浦を象徴する建物。その昔、半農半漁で生計を立てていた頃は、漁で使うのはもちろん、物資の運搬にも使用されていた。現在は城崎大橋、2車線の県道が整備されているが、この地区の人にとって、舟が唯一の交通手段。陸路のない対岸の田畑の移動や、稲・薪の運搬などに舟が利用されていた。
 かつて舟小屋は、苫屋と呼ばれる茅葺きであり、周辺の自然と調和して独特の情緒を見せていた。今は役目を終えた舟が、往時の様子を伝えている。
 漁は投網が中心。舟を等間隔に一列に並べ、呼吸を合わせて一斉に網を打つ姿は見事だったという。
 また、円山川本流では、ジョレンや竹の先を割いたヤスで、天然のハマグリを捕り、城崎温泉の魚屋に売りに行っていたそうだ。
 舟小屋から左手には、安芸の宮島を思わせる「浮島弁天(厳島神社)」が鎮座する。老松が繁るこの島は、どんな大洪水でも浸水しなかったという。いつしか幸運の島として、弁天が祀られるようになった。昭和57年には、地元の名士による寄付で、社殿が再建、海上に鳥居が新設。背景にそびえる山々と相まって、偉観を形成している。
 村はずれにある「鼻かけ地蔵尊」は、今や一番有名な場所。タモの大木が迎えてくれる境内は、清掃がいき届いていて、地元の人の愛情がうかがえる。ひとつだけ願いを叶えてくれるという伝承を信じ、但馬各地からお参りにくる人が後を絶たない。一時、本当に願いがかなったと、毎日、お礼参りに訪れていた婦人がいたんだとか。
 穏やかな楽々浦の風景。しかしながら、そこに住む人々は、水と闘い、狭い耕地を切り開いてきた。「楽々」と当てられた地名は、前向きに生きようとした先人たちの心意気を感じさせる。

円山川河口

のじぎく兵庫国体・ボート競技の会場になった円山川河口。かつてはハマグリを始めとする豊富な貝類が捕れた。

鼻かけ地蔵

ひとつだけ願いをかなえてくれるという鼻かけ地蔵。毎年、6月第1日曜日のお祭りでは、護摩供養や、餅まき・観光船などが開催される。

鼻かけ地蔵尊の脇にそびえる巨大なタモの木

集落には、これぞ裏路地といえる狭い路地がのびる

探険心がくすぐられる!

昔は茅葺き屋根であった集落前の舟小屋

普段は維持管理のため吊されているが、すぐに出航できるようになっている。ほとんどの家が、漁業用と農業用の2艘を持っていた。今の軽トラックより、積載量があったという。