原風景が残るのどかな矢田川沿いの集落
但馬でも珍しいサケの伝説が残る神社
可憐に咲く「桔梗の里」をのんびり歩く…
香住から矢田川をさか上ること車で約5分、のどかな山あいの風景が広がる香美町香住区小原。小原の歴史を紐解く時、氏神である「式内社 椋橋神社」の成り立ちを抜きには語れない。
伝説によると、伊香色雄命という神様がサケに乗って海より矢田川を上って小原村で降り、その際にサケの背中が光り輝き、「ここが私の居るところだ」といって、この地に鎮座されたという。神様の乗られたサケはさらに川を上って、現在の香美町村岡区山田にたどり着き、鮭大明神として信仰された。
その後、伊香色雄命の子孫である椋橋部連小柄が、天武天皇の時代に祖先をお祀りしたことが神社の起こりとされる。
「秋の祭礼には香住におられる子孫の椋橋さんをお迎えしないと、祭りが始まりません。前日には三升三合の米を持っていき、祭りの開催を伝えます。但馬でも珍しい風習が残っているんですよ」と、案内役の原昌久さんは話す。
椋橋神社に隣接する「遍照寺」は、神社を管理する別当寺として置かれた真言宗の古刹。十一面観世音菩薩をご本尊とし、現在は「桔梗寺」としても名高い。
住職夫妻が桔梗を植え始めたのは14年前のこと。同寺に招かれてから少しでも境内の庭をきれいにしようといろいろな花を植えたが、杉苔に自生していた一輪の「桔梗」に魅せられて植栽を始めた。今では約千株もの桔梗が6月下旬から咲き誇り、「更」に「吉」を招く花として信仰を集めている。集落の道沿いにも植えられ、「桔梗の里」として地域の魅力に花を添えている。
また、小原では昨年10月、サケにまつわる大ニュースが駆け巡った。「弁天淵」の瀬で、50年ぶりにサケのそ上が確認されたのだ。高度経済成長期とともに汚れていった日本の河川。小原でも昭和30年代頃からサケのそ上が見られなくなったという。その後、川がきれいになり、かつてアユ釣りの名所であった弁天淵の再生が大きは要因ではないかと、原さんは話す。
集落の南側、矢田川沿いの巨岩に祀られた「小原の弁天さん」の裏側には、昭和40年頃まで深さが7メートルもある大きな淵が渦を巻いており、そこにはアユを始め、たくさんの種類の魚が生息していた。
しかし、河川環境の変化からその姿を消してしまった「弁天淵」。この矢田川の原風景を取り戻そうと、5年前から地域の住民が中心となり、再生プロジェクトを開始した。再生しかけた淵が台風の影響で元の状態へ逆戻りするなど困難を極めたが、現在は往時の面影を感じさせるまでに復活している。
矢田川の穏やかな流れ、弁天淵に浮かぶ岩の一本松、そして、清らかに咲き乱れる桔梗の花。日本の原風景が残る小原を歩き、心が洗われる時間を過ごすことができた。
天平年間、行基菩薩によって開創されたと伝わる「遍照寺」は、近年、桔梗寺として多くの参拝客で賑わう。但馬七花寺霊場の1つであり、6月はささゆり、下旬から桔梗が開花を迎える。
新温泉町の久斗に通じる林道沿いに佇む「お導き地蔵」。林道改修の際、河原の中に埋もれていた地蔵を旧道沿いにお祀りした。7月23日には「地蔵祭」が開かれる。
旧長井村の中心的な場所であった「椋橋神社」。サケの伝説が残り、椋橋大明神を祀る。10月の連休には秋祭りが行われ、子ども神輿などが練り歩く。
水の神様である弁天様を祀る「小原の弁天さん」。集落の上流に位置し、この巨岩をお祀りすることで、神様が洪水から村を守ってくださると崇められてきた。また、子どもの成長を叶えてくれる神様として親しまれ、夜泣きがひどい子がお参りすると、夜泣きが止んで元気に育つと言い伝えられている。裏側には「弁天淵」があり、昭和30〜40年代頃は格好の夏の遊び場だった。
久斗山へと抜ける峠道の手前にある「山神さん」。山に入る際には、祈りを捧げたという。
地元の銘酒として有名な江戸時代創業の「香住鶴」。平成15年にこの地へ工場を移転し、観光客向けに酒造りを見学できる設備を設けた。直売所もあり、地酒やお酒を使ったスイーツなどを販売している。