但馬検定模擬試験 上級編(歴史)
※解答をクリックすると、答えが表示されます。
7世紀後半になると、但馬地方にも律令制度による地方支配が及び、中央政権から任命された国司が但馬国の政治を司り、国府が置かれましたが、「第2次但馬国府跡」とされる遺跡は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 畑ヶ平遺跡
- (b) 神鍋遺跡
- (c) 祢布ヶ森遺跡
- (d) 袴狭遺跡
正解!
不正解!
正解は (c) 祢布ヶ森遺跡
第14回試験問題 正解率84.5%
但馬地方で最も古い遺跡である畑ケ平遺跡があるのは、次のうちどこでしょうか。
- (a) 朝来市
- (b) 養父市
- (c) 香美町
- (d) 新温泉町
正解!
不正解!
正解は (d) 新温泉町
第12回試験問題
稲の穂を刈り取る石包丁やモミ跡のある土器が出土し、米づくりの技術が伝わったことをうかがい知ることができる遺跡は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 畑ケ平遺跡
- (b) 中谷貝塚
- (c) 駄坂川原遺跡
- (d) 祢布ヶ森遺跡
正解!
不正解!
正解は (c) 駄坂川原遺跡
第13回試験問題 正解率48.1%
8世紀頃、米や産物などの税を安定して確保するため、中央と地方を結ぶ主要道が整備されました。但馬地域は「山陰道」に属し、ある峠を越えて粟鹿に入り、現在の新温泉町を抜けて、因幡へと続いていました。ある峠とは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 青垣峠
- (b) 遠阪峠
- (c) 夜久野峠
- (d) 登尾峠
正解!
不正解!
正解は (b) 遠阪峠
第13回試験問題 正解率96.2%
8世紀頃、中央と地方を結ぶ主要道が整備され、但馬は山陰道の道筋に属しましたが、次のうち、但馬のどこから入って、どこに抜けていたでしょうか。
- (a) 夜久野峠-七坂八峠
- (b) 登尾峠 - 七坂八峠
- (c) 遠阪峠 - 蒲生峠
- (d) 生野峠 - 蒲生峠
正解!
不正解!
正解は (c) 遠阪峠 - 蒲生峠
第9回試験問題
但馬各地には平家の落人伝説が数多く残っていますが、平盛継(越中次郎兵衛盛継)が潜伏したと伝わる但馬の場所は、次のうちどこでしょうか。
- (a) 養父市大屋町横行
- (b) 新温泉町三尾
- (c) 香美町香住区余部
- (d) 豊岡市気比
正解!
不正解!
正解は (d) 豊岡市気比
第9回試験問題
源頼朝は義経追討という大義名分で全国に守護・地頭を置きましたが、最初の但馬守護に任じたのは、次のうち誰でしょうか。
- (a) 太田昌明
- (b) 安達親長
- (c) 山名持豊
- (d) 太田政頼
正解!
不正解!
正解は (b) 安達親長
第12回試験問題
1221年(承久3)、承久の変が起こったことにより、幕府が安達親長に替えて新たに但馬守護職に任じたのは、次のうち誰だったでしょうか。
- (a) 太田昌明
- (b) 山名時氏
- (c) 今川頼真
- (d) 桃井盛義
正解!
不正解!
正解は (a) 太田昌明
第10回試験問題
平家滅亡後、全国に守護・地頭が置かれましたが、但馬守護職に就いた者で古い順に正しく並んでいるのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 安達親長→太田昌明→太田政頼→山名師義
- (b) 太田昌明→太田政頼→安達親長→山名師義
- (c) 安達親長→太田政頼→太田昌明→山名師義
- (d) 太田昌明→安達親長→太田政頼→山名師義
正解!
不正解!
正解は (a) 安達親長→太田昌明→太田政頼→山名師義
第15回試験問題 正解率73.4%
豊臣秀吉による天下統一後、但馬に形成された城下町は、出石・八木・竹田とあと一つは、次のうちどこでしょうか。
- (a) 諸寄
- (b) 生野
- (c) 豊岡
- (d) 村岡
正解!
不正解!
正解は (c) 豊岡
第4回試験問題
豊臣秀吉による天下統一後、信任の厚い家臣を配置し、但馬に城下町が形成されましたが、城下町と家臣の組み合わせで正しいのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 豊岡-宮部氏、出石-前野氏、八木-赤松氏、竹田-別所氏
- (b) 豊岡-宮部氏、出石-前野氏、八木-別所氏、竹田-赤松氏
- (c) 豊岡-前野氏、出石-宮部氏、八木-赤松氏、竹田-別所氏
- (d) 豊岡-前野氏、出石-宮部氏、八木-別所氏、竹田-赤松氏
正解!
不正解!
正解は (b) 豊岡-宮部氏、出石-前野氏、八木-別所氏、竹田-赤松氏
第15回試験問題 正解率73.4%
江戸時代に但馬國出石に置かれた出石藩の歴代藩主でないのは、次のうち誰でしょうか。
- (a) 小出氏
- (b) 松平氏
- (c) 仙石氏
- (d) 京極氏
正解!
不正解!
正解は (d) 京極氏
第10回試験問題 ※京極氏は、豊岡藩の藩主です。
但馬地域には日本の歴史上において重要な鉱山が点在していますが、江戸時代から「但馬三山」と呼ばれた鉱山に該当しないのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 生野銀山
- (b) 明延銅山
- (c) 中瀬金山
- (d) 竹野鉱山
正解!
不正解!
正解は (d) 竹野鉱山
第13回試験問題 正解率100%
江戸時代に幕府の直轄であった生野銀山に、1705年(宝永2)に与えられた間歩(坑道)に対する最高位の称号は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 直轄務山
- (b) 天領務山
- (c) 御所務山
- (d) 幕府務山
正解!
不正解!
正解は (c) 御所務山
第12回試験問題
但馬沿岸で江戸時代から明治時代に栄えた廻船で、1847年(弘化4)、久美浜代官所に免許の申請をした船数が一番多かった港は、次のうちどこでしょうか。
- (a) 柴山港
- (b) 浜坂港
- (c) 竹野港
- (d) 諸寄港
正解!
不正解!
正解は (c) 竹野港
第14回試験問題 正解率93.1%
江戸時代後期には、藩の奨励により但馬各地で独自の産業が発展したが、現在の新温泉町から豊岡市竹野町にかけての山間部で発展した産業は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 養蚕
- (b) 造船
- (c) 綿花
- (d) 製鉄
正解!
不正解!
正解は (d) 製鉄
第12回試験問題
江戸時代後期、但馬各藩の財政悪化は厳しい状況でしたが、1835年(天保6)に出石藩で起きた江戸時代の三大お家騒動のひとつと数えられているのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 仙石騒動
- (b) 伊達騒動
- (c) 黒田騒動
- (d) 加賀騒動
正解!
不正解!
正解は (a) 仙石騒動
第13回試験問題 正解率100%
1835年(天保6)に起こった「仙石騒動」により、幕府は家政不取り締まりの理由を持って出石藩仙石久利の封地を5万8千石から、次のうちいくらに減封したでしょうか。
- (a) 2万石
- (b) 3万石
- (c) 4万石
- (d) 5万石
正解!
不正解!
正解は (b) 3万石
第5回試験問題
尊皇攘夷を掲げた「生野の変」に但馬の尊皇志士たちも多く加わりましたが、この事件に参加していないのは、次のうち誰でしょうか。
- (a) 多田弥太郎
- (b) 北垣晋太郎
- (c) 河本重次郎
- (d) 進藤俊三郎
正解!
不正解!
正解は (c) 河本重次郎
第10回試験問題
江戸時代末期になると但馬でも海岸防備の関心が高まりましたが、尊皇攘夷を掲げた平野国臣が起こした事件は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 出石の変
- (b) 八木の変
- (c) 竹田の変
- (d) 生野の変
正解!
不正解!
正解は (d) 生野の変
第4回試験問題
江戸時代後期、但馬各地に藩校や私塾が開設され、後の明治維新に貢献する若者が数多く輩出されましたが、「池田草庵」が開設した塾は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 稽古堂
- (b) 明倫館
- (c) 相馬塾
- (d) 青谿書院
正解!
不正解!
正解は (d) 青谿書院
第14回試験問題 正解率97.6%
幕末期は、但馬各地に藩校や私塾が開設されましたが、組み合わせで正しいのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 出石藩-青谿書院
- (b) 豊岡藩-弘道館
- (c) 村岡山名領-明倫館
- (d) 池田草庵-稽古堂
正解!
不正解!
正解は (c) 村岡山名領-明倫館
第11回試験問題
江戸後期は但馬各地で教育熱の高まった時期ですが、出石藩が開設した藩校は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 稽古堂
- (b) 明倫館
- (c) 弘道館
- (d) 青谿書院
正解!
不正解!
正解は (c) 弘道館
第8回試験問題
江戸後期は但馬各地で教育熱の高まった時期ですが、豊岡藩が開設した藩校は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 稽古堂
- (b) 弘道館
- (c) 明倫館
- (d) 青谿書院
正解!
不正解!
正解は (a) 稽古堂
第6回試験問題
山陰道鎮撫総督として転戦し、山陰道の武力制圧に乗り出してきた人物は、次のうち誰でしょうか。
- (a) 岩倉具視
- (b) 三条実美
- (c) 大村益次郎
- (d) 西園寺公望
正解!
不正解!
正解は (d) 西園寺公望
第4回試験問題
豊岡県の誕生後、兵庫県と京都府に分割合併され、現在の兵庫県が成立したのは、次のうちいつでしょうか。
- (a) 1873年(明治6年)
- (b) 1876年(明治9年)
- (c) 1889年(明治22年)
- (d) 1896年(明治29年)
正解!
不正解!
正解は (b) 1876年(明治9年)
第11回試験問題
1871年(明治4)、「廃藩置県」によって誕生した県で誤っているのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 豊岡県
- (b) 村岡県
- (c) 朝来県
- (d) 出石県
正解!
不正解!
正解は (c) 朝来県
第8回試験問題
江戸時代、銀山で栄えた生野地域は、幕府直轄領で、生野代官所は播磨国北部や美作国まで統治していました。その後、1868年(明治元)、新政府の命令により久美浜県に編入されましたが、1869年(明治2)、生野県が誕生しました。その生野県が設置されていた期間は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 2年3か月間
- (b) 4年3か月間
- (c) 6年3か月間
- (d) 8年3か月間
正解!
不正解!
正解は (a) 2年3か月間
第15回試験問題 正解率51.9%
1871年(明治4)に誕生した新しい「豊岡県」は、兵庫県と京都府に分割合併され新しい「兵庫県」が成立するまで存続しましたが、豊岡県は次のうち約何年存続したでしょうか。
- (a) 約2年
- (b) 約3年
- (c) 約4年
- (d) 約5年
正解!
不正解!
正解は (d) 約5年
第4回試験問題
1889年(明治22)の市町村制、1896年(明治29)の郡制の施行により、地方行政の近代化が進みましたが、但馬は、何郡何町村に整理統合されたでしょうか。
- (a) 6郡66町村
- (b) 6郡44町村
- (c) 5郡66町村
- (d) 5郡55町村
正解!
不正解!
正解は (c) 5郡66町村
第12回試験問題
郡制の施行により、但馬が城崎、出石、美方、養父、朝来の5郡に整理統合されたのは、次のうちいつでしょうか。
- (a) 1876年(明治9)
- (b) 1886年(明治19)
- (c) 1896年(明治29)
- (d) 1906年(明治39)
正解!
不正解!
正解は (c) 1896年(明治29)
第8回試験問題
元来、養蚕が盛んだった但馬では、明治時代に生糸の海外需要が高まる中で急成長を遂げましたが、「橋本龍一」が洋式の機械製糸を始めた場所は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 養父市大屋町
- (b) 豊岡市但東町
- (c) 朝来市山東町
- (d) 香美町村岡
正解!
不正解!
正解は (b) 豊岡市但東町
第13回試験問題 正解率80.8%
鉄道で一番早く全線開通したのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 山陰線
- (b) 播但線
- (c) 出石鉄道
- (d) 宮津線(舞鶴~豊岡)
正解!
不正解!
正解は (b) 播但線
第9回試験問題
山陰線余部鉄橋が完成し、京都~出雲間が全線開通したのは、次のうちいつでしょうか。
- (a) 1902年(明治35)
- (b) 1906年(明治39)
- (c) 1912年(明治45)
- (d) 1916年(大正5)
正解!
不正解!
正解は (c) 1912年(明治45)
第4回試験問題
1965年(昭和40)に開通した但馬初の有料道路は、次のうちどれでしょうか。
- (a) 播但連絡道路
- (b) 北近畿豊岡自動車道
- (c) 山陰近畿自動車道
- (d) 但馬海岸道路
正解!
不正解!
正解は (d) 但馬海岸道路
第9回試験問題
明治・大正・昭和・平成の時代に起こった但馬に関する出来事のうち、年と出来事が一致していないのは、次のうちどれでしょうか。
- (a) 1906年(明治39)播但鉄道(播但線)全線が開通。
- (b) 1925年(大正14)北但大震災が起こる。
- (c) 1973年(昭和48)生野鉱山が閉山。
- (d) 2010年(平成22)「円山川下流域・周辺水田」がラムサール条約に湿地登録。
正解!
不正解!
正解は (d) 2010年(平成22)「円山川下流域・周辺水田」がラムサール条約に湿地登録。
第10回試験問題 ※2012年(平成24)に登録されました。
養父市が、国家戦略特区である「農業特区」の指定を受けたのは、次のうちいつでしょうか。
- (a) 2012年(平成24)
- (b) 2013年(平成25)
- (c) 2014年(平成26)
- (d) 2015年(平成27)
正解!
不正解!
正解は (c) 2014年(平成26)
第11回試験問題