カテゴリー: # 近代化遺産 # 近代化遺産(交通) # 養父市 # 八鹿エリア
ようかえきしゃ と こせんきょう
八鹿駅舎(2020ふるさと特派員撮影)
八鹿駅跨線橋(2019ふるさと特派員撮影)
1908年(明治41)建設、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿にかわった。玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取りつけられている。跨線橋の鉄柱には、「鐡道新橋・明(治)四十」という銘文が刻まれている。新橋というのは旧国鉄の前身である帝国鉄道庁の新橋工場のこと。新橋工場でつくった跨線橋こせんきょうを1907年(明治40)、福知山駅に組み立てたもので、1955年(昭和30)に福知山駅から八鹿駅に移転された。 今は白く塗られているが、できあがった当時は緑色であったと当時の新聞に記載されている。1番古い鋳物の柱脚の跨線橋は、山陰本線の大田市駅にある跨線橋で1890年(明治23)に製作されたものが使われている。八鹿駅の跨線橋はそれに次ぐ古さと考えられる。
1908年(明治41)建設、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿にかわった。玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取りつけられている。跨線橋の鉄柱には、「鐡道新橋・明(治)四十」という銘文が刻まれている。新橋というのは旧国鉄の前身である帝国鉄道庁の新橋工場のこと。新橋工場でつくった跨線橋を1907年(明治40)、福知山駅に組み立てたもので、1955年(昭和30)に福知山駅から八鹿駅に移転された。
今は白く塗られているが、できあがった当時は緑色であったと当時の新聞に記載されている。1番古い鋳物の柱脚の跨線橋は、山陰本線の大田市駅にある跨線橋で1890年(明治23)に製作されたものが使われている。八鹿駅の跨線橋はそれに次ぐ古さと考えられる。