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《一覧表示:近代化遺産》
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- ●近代化遺産とは?
- 文化庁でいう「近代化遺産」とは、幕末から第二次世界大戦期までの間に近代的手法によって建設され、我が国の近代化に貢献した...
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- 生野鉱山
- 生野鉱山は、明治政府で最も早く官営が決定した鉱山である。1868年(明治元)に会計官(現財務省)鉱山司生野出張所が設置...
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- 神子畑鉱山
- 1878年(明治11)の鉱脈再発見により、加盛山と呼ばれ生野鉱山の支山として稼働していたが、1896年(明治29)の生...
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- 明延鉱山
- 生野鉱山と共に宮内庁御料局から1896年(明治29)に三菱合資会社に払い下げられ、1900年(明治33)の鉱脈調査によ...
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- グンゼ旧八鹿工場事務所棟
- 1929年(昭和4)建設、グンゼ株式会社旧八鹿工場の事務所棟。事務所の入口が建物の角部分に面し、さらに中央部に柱を設け...
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- グンゼ梁瀬工場
- 昭和初期の建設。建設年代ははっきりとしないが、本館と女子寮が古い面影を残す。現在も現役工場として生産を続けているため、...
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- 旧養父合同銀行 大屋支店
- 1931年(昭和6)頃、旧養父合同銀行大屋支店として建設され、その後、但馬銀行の大屋支店として、2005年(平成17)...
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- 旧兵庫県農工銀行 豊岡支店
- 1934年(昭和9)の建設、旧兵庫県農工銀行豊岡支店が業務拡大のため、宵田通りから現在地の大開通りに移転。その後、山陰...
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- 明延鉱山 明神電車
- 明神電車は、明神電車軌道で鉱石や人々の輸送に活躍した車両の総称である。明神電車軌道は、明延鉱山で採掘した鉱石を神子畑選...
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- 神子畑鋳鉄橋
- 神子畑鋳鉄橋は神子畑川に架けられた道路橋で、神子畑鉱山で採掘された鉱石を生野の精錬所へ運ぶ運搬路に建設されたものである...
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- 羽渕鋳鉄橋
- 羽渕鋳鉄橋は、田路川が円山川に合流する付近に架かっていた。神子畑鋳鉄橋と同じように、神子畑鉱山から生野製錬所へ銀鉱石の...
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- 余部橋梁
- 山陰本線の鎧駅と餘部駅の間に位置する余部橋梁は、1912年(明治45)の建築で、長さ309m、橋脚の高さ41.5m、日...
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- 和田山駅機関庫
- 1906年(明治39)、播但鉄道(現播但線)が延長され、竹田駅・和田山駅が誕生した。1911年(明治44)には和田山と...
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- 浜坂駅の給水タンク
- 浜坂駅の給水タンクは、かつてSLの活躍した時代に、山陰線を走る機関車に水を補給するため、1911年(明治44)に浜坂駅...
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- 城崎温泉駅舎
- 1926年(大正15)建設、山陰本線・城崎温泉駅の駅舎。前年の北但大震災で旧駅舎が壊滅したため、防火を目的として鉄筋コ...
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- 竹野駅舎と跨線橋
- 1911年(明治44)建設。その当時は標準的と思われる木造瓦葺きの駅舎が現在も健在である。1968年(昭和43)に設立...
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- 八鹿駅舎と跨線橋
- 1908年(明治41)建設、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿にかわった。玄関横には、八つの星をイメー...
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- 竹田駅舎
- 1906年(明治39)建設、播但線の開通に伴って開設された竹田駅の駅舎。日本調の木造建築。当時、郡役所などが建てられる...
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- 桃観トンネルと石額
- 1911年(明治44)に完成。山陰線の中で最大の難所が香住〜久谷の工区であり、全線開通もこの工区が最後となった。開通当...
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- 出石鉄道遺構物
- 出石鉄道は、山陰本線の江原駅と豊岡市出石町を結ぶべく地元住民の出資により建設され、1929年(昭和4)に開通。第二次世...