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《一覧表示:出石エリア》
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- 茶臼山古墳
- 出石川の一支流、楊枝谷川の東岸にあり、東から西に向かって延びる丘陵尾根を切断して築造されている。明治の初めに頂上部を耕...
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- 田多地経塚 出土遺物
- 1981年(昭和56)、当時の大学生が頂上部の古墳の断面に青銅の遺物を発見。古墳の墳丘を利用した経塚(平安時代)の調査...
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- 山名氏城跡
- 山名氏は清和源氏の出で、室町時代、足利尊氏に従った山名時氏が、その功績によって山陰地方の守護大名となった。山名一族は全...
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- 【但馬五社(但馬五社明神)】
- 但馬を南北にわたる出石神社・絹巻神社・小田井縣神社・養父神社・粟鹿神社、但馬を代表するこの5つの主要神社を総称して「但...
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- 出石神社
- 祭神は但馬開発の祖神のひとり、天日槍命。807年(大同2)に編纂された『古語拾遺』には、「大社と成れり」と記されている...
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- 称名寺
- 本尊の阿弥陀如来座像は、豊岡京極家菩提寺瑞泰寺の本尊であったもので、1678年(延宝6)の造立。銘に「七条大宮下流京下...
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- 宗鏡寺
- 山名氏清(時熈の説も)により、1392年(明徳3)、此隅山山ろくに山名氏の菩提寺として創立されたと伝えられる。山名祐豊...
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- 総持寺
- 奈良時代に行基が開いたとされる古刹。代々但馬守護・山名氏の崇敬篤く、祈祷寺として庇護を受けた。本尊の「十一面千手観音立...
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- 出石鉄道遺構物
- 山陰本線の江原駅と豊岡市出石町を結ぶべく、1929年(昭和4)に開通。出石鉄道は、地元住民の出資により建設された。第2...
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- 出石永楽館
- 1901年(明治34)建設、都市劇場建築の芝居小屋。明治後期から昭和初期にかけて、但馬の大衆文化の中心として栄えた。独...
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- 旧出石郵便局
- 1931年(昭和6)の建設、旧出石郵便局跡。出石城下のシンボル・辰鼓楼に向かい合って建ち、現在は改装されてそば屋となっ...
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- 旧出石郡役所(出石明治館)
- 1887年(明治20)頃建設、旧出石郡の郡役所。明治時代の法制で郡役所が数多く建てられたが、兵庫県下では旧七美郡役所(...
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- 奥山渓谷
- コウモリの翼を張ったような形の床尾山(東839m・西847m)を源とする奥山川上流の渓谷です。清流にはオオサンショウウ...
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- 出石初午大祭
- 江戸時代、出石藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内の稲荷神社に参詣を許したことに始まるとされる。身...
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- 幟まわし
- 5月5日節句の日、但馬一の宮として知られる出石神社で行われる「幟まわし」。宮内区の行事として、中学生を含めた地元の保存...
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- 愛宕の火祭り
- 疫病の蔓延や農作物の害虫に対する、厄除けの儀式として始まった火祭り行事。「愛宕の火祭り」は一時中断したが、昭和50年代...
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- 出石だんじり祭り
- 江戸時代中期に始まったとされ、「喧嘩だんじり」とも呼ばれる。豊岡市出石町の諸杉神社、石部神社、伊福部神社の氏子たちがだ...
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- 出石藩家老 仙石 左京
- 江戸時代後期の出石藩筆頭家老。出石仙石家の分家として藩の大老職についたが、経済政策を巡って反対派と対立。いわゆる「仙石...
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- 禅僧 沢庵和尚(宗彭)
- たくあん漬けの考案者とも重用者とも言われる禅宗の名僧。出石城主山名氏の重臣秋庭能登守綱典の長男として生まれた。(生地に...
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- 幕末の洋学者 川崎 尚之助
- 同志社創立者の新島襄の妻として知られる新島(旧姓山本)八重の最初の夫。出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれた。成長...