カテゴリー: # 近代化遺産 # 近代化遺産(交通) # 香美町 # 香住エリア # 新温泉町 # 浜坂エリア
とうかんとんねる と せきがく
桃観トンネル(新温泉町側)(2020ふるさと特派員撮影)
桃観トンネル(香美町側)(2020協会撮影)
桃観トンネル(余部側石額)(2020協会撮影)
桃観トンネル招魂碑(2020ふるさと特派員撮影)
1911年(明治44)に完成。山陰線の中で最大の難所が香住〜久谷くたにの工区であり、全線開通もこの工区が最後となった。開通当時は山陰線のトンネルの中で1番長く(全長1,991m)、約4年間の年月、当時の金額で61万円という巨費が投じられた。工事は西より東に向かって上り勾配を利用して、掘削は久谷側の西口から始まり、空気圧搾機や削岩機で掘削を進め、新鮮な空気を供給して作業を行うという、当時の技術の中でも最も近代的な工法を採用。山陰西線(鳥取〜香住)において、初めて機械掘削が試みられた。 トンネルの出入り口には、山陰線の開通記念として、当時の逓信大臣兼鉄道院総裁後藤新平の筆による石額が掲げられている。久谷側は「萬方惟慶ばんぽういけい(すべての人がこれを喜ぶ)」、余部側は「惟徳罔小いとくぼうしょう(この徳は少なくない)」と刻される。実際このような石額を掲げたトンネルは全国においても数例しかなく貴重な存在である。
1911年(明治44)に完成。山陰線の中で最大の難所が香住〜久谷の工区であり、全線開通もこの工区が最後となった。開通当時は山陰線のトンネルの中で1番長く(全長1,991m)、約4年間の年月、当時の金額で61万円という巨費が投じられた。工事は西より東に向かって上り勾配を利用して、掘削は久谷側の西口から始まり、空気圧搾機や削岩機で掘削を進め、新鮮な空気を供給して作業を行うという、当時の技術の中でも最も近代的な工法を採用。山陰西線(鳥取〜香住)において、初めて機械掘削が試みられた。
トンネルの出入り口には、山陰線の開通記念として、当時の逓信大臣兼鉄道院総裁後藤新平の筆による石額が掲げられている。久谷側は「萬方惟慶(すべての人がこれを喜ぶ)」、余部側は「惟徳罔小(この徳は少なくない)」と刻される。実際このような石額を掲げたトンネルは全国においても数例しかなく貴重な存在である。