カテゴリー: # 近代化遺産 # 近代化遺産(交通) # 豊岡市 # 竹野エリア
たけのがわきょうりょう
竹野川橋梁(2020ふるさと特派員撮影)
竹野川橋梁(2007ふるさと特派員撮影)
豊岡市の竹野川橋梁、新温泉町の田君川たきみがわ橋梁は山口県の徳佐川とくさがわ橋梁とともに、日本で3つしか現存しないラチス桁橋梁。ラチスとは格子の意味で、断面がL字形の細長い鉄材を斜めの格子状に組んだものをいう。第一次世界大戦の影響で大型鋼板の入手が困難になったことで使われた構造である。 竹野川橋梁は、山陰本線・城崎温泉~竹野駅間の竹野川に架かる鉄道橋梁で、1911年(明治44)に開通。元はラチス桁を使用していないプレートガター方式の橋であったが、1918年(大正7)10月の大洪水により流出した桁の復旧のため、1920年(大正9)にラチス桁が架設された。その後、城崎温泉駅側の3連は昭和50年代に架け替えられている。 田君川橋梁は、山陰本線・久谷くたに~浜坂駅間の田君川に架かる鉄道橋梁。1912年(明治45)にプレートガター方式で建設された。その後、1922年(大正11)に川幅増幅に伴う橋桁の増設によりラチス桁が架設された。 日本に3つしか残っていないラチス桁橋梁の内、2つの橋が但馬に残っていることは誇るべき点である。
豊岡市の竹野川橋梁、新温泉町の田君川橋梁は山口県の徳佐川橋梁とともに、日本で3つしか現存しないラチス桁橋梁。ラチスとは格子の意味で、断面がL字形の細長い鉄材を斜めの格子状に組んだものをいう。第一次世界大戦の影響で大型鋼板の入手が困難になったことで使われた構造である。
竹野川橋梁は、山陰本線・城崎温泉~竹野駅間の竹野川に架かる鉄道橋梁で、1911年(明治44)に開通。元はラチス桁を使用していないプレートガター方式の橋であったが、1918年(大正7)10月の大洪水により流出した桁の復旧のため、1920年(大正9)にラチス桁が架設された。その後、城崎温泉駅側の3連は昭和50年代に架け替えられている。
田君川橋梁は、山陰本線・久谷~浜坂駅間の田君川に架かる鉄道橋梁。1912年(明治45)にプレートガター方式で建設された。その後、1922年(大正11)に川幅増幅に伴う橋桁の増設によりラチス桁が架設された。
日本に3つしか残っていないラチス桁橋梁の内、2つの橋が但馬に残っていることは誇るべき点である。