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但馬国分寺跡(2007ふるさと特派員撮影)

但馬国分寺跡(2007ふるさと特派員撮影)

 741年(天平13)、聖武天皇は五穀豊穣、国家鎮護を祈るため、全国60あまりの国ごとに、巨大な国分寺、国分尼寺こくぶんにじの建立を命じ、但馬国では豊岡市日高町に建てられた。但馬国分寺跡では1973年(昭和48)から継続的に発掘調査が行われ、金堂、塔、中門などが確認されている。また、寺域の東と南東の端を示す溝や築地ついじ跡の発見で、寺域が約160m(一町半)四方であったこともわかっている。
 最も多く出土している遺物は瓦で、浅く曲がった平瓦と丸瓦のほかに、鬼瓦などもある。また、全国でも珍しい当時の釣瓶つるべや木簡など貴重なものが出土している。木簡には、「天平神護三年」(767年)や「神護景雲二年」(768年)と言う年号のほか、「倉」「鋳所」「醤殿」などの施設名も記されている。国分寺の造営過程や寺院経営を考える上で重要な資料である。
 ほかにも、全国最大級の井戸(縦横約170cm四方、深さ270cm)も見つかっている。この井戸に使われたヒノキ材は、年輪から763年(天平宝字7)に伐採されたものと判明した。
 平安中期以降、律令制の崩壊とともに次第に衰退し、その後、1580年(天正8)に羽柴秀吉が但馬攻めをした際に、焼亡したと伝えられている。のちに国中を托鉢して1763年(宝暦13)に堂を再建したことが、現在の護国山国分寺(豊岡市日高町国分寺)に残された棟札むなふだに書かれている。

所在地 豊岡市日高町国分寺
文化財指定 国指定史跡
問い合わせ
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備考 (見学可能施設)
豊岡市立歴史博物館
TEL0796-42-6111