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うえがき もりくに
『養蚕秘録』(養父市提供)
上垣守国養蚕記念館
上垣守国の墓(養父市提供)
養蚕ようさんを但馬、丹波、丹後に広めた、但馬養蚕ようさん業の先駆者。1753年(宝暦3)に、養父市大屋町蔵垣くらがきに生まれ、18歳の時に先進地であった陸奥国伊達郡福島に行き、蚕種さんしゅ(蚕の卵)を持ち帰って蚕種改良に尽力した。後に蔵垣村の庄屋を務め、1803年(享和3)、48歳の時に「養蚕秘録」という養蚕の技術書を出版。当時は文字が読めない人も多かったため、挿図を多数入れて、図をみるだけで養蚕が学べるように工夫した。シーボルトもこの本をオランダへ持ち帰っている。地元の蔵垣地区にある上垣守国養蚕記念館では、業績をたたえ、養蚕秘録や守国が使用した煙草入れ、矢立などを展示している。
養蚕を但馬、丹波、丹後に広めた、但馬養蚕業の先駆者。1753年(宝暦3)に、養父市大屋町蔵垣に生まれ、18歳の時に先進地であった陸奥国伊達郡福島に行き、蚕種(蚕の卵)を持ち帰って蚕種改良に尽力した。後に蔵垣村の庄屋を務め、1803年(享和3)、48歳の時に「養蚕秘録」という養蚕の技術書を出版。当時は文字が読めない人も多かったため、挿図を多数入れて、図をみるだけで養蚕が学べるように工夫した。シーボルトもこの本をオランダへ持ち帰っている。地元の蔵垣地区にある上垣守国養蚕記念館では、業績をたたえ、養蚕秘録や守国が使用した煙草入れ、矢立などを展示している。