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青谿書院(2020ふるさと特派員撮影)

青谿書院(2020ふるさと特派員撮影)

 「但馬聖人」と呼ばれた幕末期の儒学者。養父市八鹿町宿南しゅくなみに農民の子として生まれた。幼くして両親を亡くした草庵(通称は禎三)は、満福寺まんぷくじで僧侶としての修行に励み、住職の不虚ふきょ上人しょうにんの熱心な指導により、寺一番の高弟と認められるようになった。しかし、19歳の時、たまたま訪れた京都の儒学者・相馬そうま九方きゅうほうの教えを受け、儒学を志す決心をし、不虚上人の許しのないまま寺を出奔。後にこの不義理な行動を深く反省し、絵師に「満福寺出奔図」を描かせ、掛け軸として生涯部屋にかけて自らの戒めとしたといわれる。
 相馬に入門した草庵は、儒学の中の朱子学、陽明学を勉強し、自らも京都一条坊に塾を開いた。やがて学問や人格の立派なことが故郷の人たちにも知られるようになり、草庵は請われるまま、13年ぶりに故郷の地を踏む。そこで「立誠舎りっせいしゃ」という建物を借り受け、弟子の教育を開始。1847年(弘化4)、自分の生まれた宿南村に念願の学舎を建て、「青谿書院せいけいしょいん」と名づける。門人たちは師弟共々共同生活をし、教えは知識を与えるより人間の生き方、人格の完成を目指すもので、知識と実行を兼ね備えた人間の育成に心を砕いた。延べ700人に達する但馬内外の子弟を教育。門下生からは北垣国道きたがきくにみち原六郎はらろくろうなど、明治・大正期に活躍する逸材を多数輩出した。

所在地
文化財指定 県指定文化財 青谿書院(史跡)・青谿書院蔵書 131冊(書跡)・青谿書院蔵書 1153点(歴史資料)
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備考 養父市八鹿町生まれ
(1813〜1878)