カテゴリー: # 人物 # 豊岡市 # 出石エリア
さくらい つとむ
桜井勉(豊岡市提供)
桜井勉生家跡(2020協会撮影)
弘道館跡(2020協会撮影)
明治の新国家設立に尽力した政治家。代々出石藩の儒官を務める家に生まれた。英才教育を受け8歳で藩校である弘道館こうどうかんに入学。その後、江戸や伊勢で教養を深め、明治新政府では内務に携わった。内務省地理局長時代には、全国の気象測候所の創設を働きかけ、気象観測網の基礎を築いたといわれる。その後、徳島・山梨・台湾新竹県知事、内務省神社局長を歴任。退官後は、故郷の出石で「校補但馬考」を著して郷土史研究に貢献するとともに、教育振興に努めた。
明治の新国家設立に尽力した政治家。代々出石藩の儒官を務める家に生まれた。英才教育を受け8歳で藩校である弘道館に入学。その後、江戸や伊勢で教養を深め、明治新政府では内務に携わった。内務省地理局長時代には、全国の気象測候所の創設を働きかけ、気象観測網の基礎を築いたといわれる。その後、徳島・山梨・台湾新竹県知事、内務省神社局長を歴任。退官後は、故郷の出石で「校補但馬考」を著して郷土史研究に貢献するとともに、教育振興に努めた。