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たけだのかぐ
400年ほど前、竹田城主・赤松広秀あかまつひろひでが産業振興のため木地師きじしを竹田に呼び寄せ、漆塗うるしぬりを奨励した。特に椀は「竹田椀」と呼ばれ人気があったが、明治後期以降、陶器の台頭により竹田の塗り物は衰退する。職人たちが塗り物生産の技術を活かして始めたのが竹田の家具づくりといわれている。
400年ほど前、竹田城主・赤松広秀が産業振興のため木地師を竹田に呼び寄せ、漆塗を奨励した。特に椀は「竹田椀」と呼ばれ人気があったが、明治後期以降、陶器の台頭により竹田の塗り物は衰退する。職人たちが塗り物生産の技術を活かして始めたのが竹田の家具づくりといわれている。