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(左)播但線・生野トンネル《石造》/(右)山陰線・桃観トンネル《煉瓦造》

 明治の近代化を象徴する鉄道建設。但馬では1906年(明治39)に播但ばんたん線(姫路-和田山間)が全線開通し、少し遅れて1912年(明治45)に山陰本線(京都-出雲いずも間)が開通した。両線の違いといえば、播但線は播但鉄道(のちに山陽鉄道が買収後、国有)という民間会社が建設、一方山陰本線は国有鉄道として建設されたことがあげられる。また、年代によって使用する材料が異なり、トンネルのつくり方にも違いがある。
 播但線のトンネルは石造りのトンネルが多いのに対し、その後に建設された山陰本線は、当時最先端技術であった煉瓦れんがづくりを採用している。山陰本線は但馬の急崖な海岸線を通るコースが取られたため、陸上輸送は困難で、資材の運搬はもっぱら海上からが多かったため、組み立てやすい煉瓦造りが採用されたのではないかともいわれている。
 こうした違いを知ると、普段何気なくみている車窓の風景も、また変わってみえる。