生野鉱山
いくのこうざん
坑道入口(生野観光協会提供)
所在地 | 朝来市生野町小野 |
---|---|
文化財指定 | 日本遺産構成文化財 |
問い合わせ | 史跡生野銀山(株)シルバー生野 TEL079-679-2010 |
関連サイト | https://www.ikuno-ginzan.co.jp/ |
備考 | ※ガイドあり |
いくのこうざん
坑道入口(生野観光協会提供)
所在地 | 朝来市生野町小野 |
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文化財指定 | 日本遺産構成文化財 |
問い合わせ | 史跡生野銀山(株)シルバー生野 TEL079-679-2010 |
関連サイト | https://www.ikuno-ginzan.co.jp/ |
備考 | ※ガイドあり |
生野鉱山は、明治政府で最も早く官営が決定した鉱山である。1868年(明治元)に会計官(現財務省)鉱山司生野出張所が設置され、以後24人のフランス人技術者が生野鉱山に携わり、施設の近代化が進められた。
太盛(旧猪野々)地区に残る煉瓦造建物には、フランス積、イギリス積、増築部では長手積が確認できる。窓部分はセグメンタルアーチ。1896年(明治29)、三菱合資会社(現三菱マテリアル株式会社)に払い下げ後、1899年(明治32)に築造された排煙用煙道の排出口部分はすべてカラミ石造で、うち高さ4mの遺構が残存する。
金香瀬地区は現在「史跡生野銀山」として、鉱山観光施設となっている。入り口にある門柱は、旧鉱山司生野支庁正門にあったもので、菊の紋の入った大小1本ずつの石造門柱を左右に配していた(朝来市指定文化財)。各部の実測値はメートル法に近い値を示す。1875年(明治8)に総延長3.5キロメートルに及ぶ動力用水路や鷹ノ巣堰堤が、1875年(明治8)に完成し、現在も山沿いに水路跡をみることができる。
金香瀬坑口(朝来市指定文化財)は、大きさの異なる石を加工し、アーチを組んでいる。寸法は、ヤードポンド法に近い値を示す。坑内に幅2フィートの軌道が走っており、開口部が約8フィートとなっている。
1973年(昭和48)に閉山後、加工部門の生野製作所と錫製錬所が残り、生野工場として操業。施設の大半は三菱マテリアル(株)生野事業所が引き継ぎ、当時の厚生施設や社宅など、一部は今も利用されている他、観光施設としても活用されている。