明延鉱山
あけのべこうざん

明延鉱山探検坑道

一円電車(2019ふるさと特派員撮影)


所在地 | 養父市大屋町明延 |
---|---|
文化財指定 | 日本遺産構成文化財 |
問い合わせ | あけのべ自然学校 TEL079-668-0258 |
関連サイト | http://www.akenobe-kozan.com/ |
備考 | ※ガイドあり |
あけのべこうざん
明延鉱山探検坑道
一円電車(2019ふるさと特派員撮影)
所在地 | 養父市大屋町明延 |
---|---|
文化財指定 | 日本遺産構成文化財 |
問い合わせ | あけのべ自然学校 TEL079-668-0258 |
関連サイト | http://www.akenobe-kozan.com/ |
備考 | ※ガイドあり |
生野鉱山と共に宮内庁御料局から1896年(明治29)に三菱合資会社に払い下げられ、1900年(明治33)の鉱脈調査により、主要鉱脈の開発が始まった。1909年(明治42)、東京帝国大学の平林武博士と渡辺渡博士によって錫鉱石が発見され、「日本一の錫鉱山」として栄えた。
1987年(昭和62)の閉山後、近年まで大仙地区の総合事務所、機械工場、変電所、圧気室などが残り、閉山時の形状がほぼ保たれていたが、ほとんどの施設が2004年(平成16)までに取り壊された。
現存する約650mの坑道、世谷通洞坑には当時の機械類がそのまま残り、あけのべ自然学校の探検坑道として一般公開されている。なお、明延鉱山の坑道の総延長は約550kmで、東海道新幹線の東京駅から新大阪駅までの距離に相当する。
1985年(昭和60)まで利用されていた「明神電車線」は、1929年(昭和4)に開通。明延と神子畑を結ぶ約6kmの専用軌道であった。1949年(昭和24)に従業員運搬用に客車もつけるようになり、一般の乗客も運ぶようになった。1952年(昭和27)、1日の乗降数を数えやすくするために乗車料が1円となり、「一円電車」の愛称で親しまれた。現在は車両が展示されている他、手づくりの線路を使って定期運行も行われている。