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川崎尚之助追悼碑(2020協会撮影)

 同志社創立者の新島襄にいじまじょうの妻として知られる新島(旧姓山本)八重の最初の夫。出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれた。成長後は江戸に出て、蘭学や舎密せいみ学(化学)を大木塾で学んだ。そこで、八重の兄である会津あいづ藩士・山本覚馬かくまと知り合い、会津藩藩校・日新館の蘭学教授となった。八重とは、29歳の時に結婚。この頃、はれて会津藩士となった。
 その後、戊辰ぼしん戦争(会津戦争)では、八重と鶴ヶ城籠城戦に参加し、砲術の才能を発揮したとされる。敗戦後は八重と生き別れたが、青森・斗南となみ藩へ移住していたことが分かっている。飢えに苦しむ仲間を助けるため、外国商人と米取引を行うが訴訟を起こされ、罪を一身に背負ったまま、40歳という若さで病死した。

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備考 豊岡市出石町生まれ
(1836〜1875)