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こうもと じゅうじろう
日本近代眼科に貢献した医師。豊岡に生まれ、13歳の時に豊岡出身の猪子いのこ止戈之助しかのすけ、和田垣わだがき謙三けんぞうとともに、郷土の先輩の吉村寅太郎に連れられ上京。後に東京大学医学部へ進み、首席で卒業した。同学部外科学教室の助手となり、留学を命じられて渡欧。帰国後、東京大学眼科学教室主任教授に任じられ、以後33年間、日本の眼科を先進国の水準に近づけ、さらに発展させて、日本近代眼科の父と称される。
日本近代眼科に貢献した医師。豊岡に生まれ、13歳の時に豊岡出身の猪子止戈之助、和田垣謙三とともに、郷土の先輩の吉村寅太郎に連れられ上京。後に東京大学医学部へ進み、首席で卒業した。同学部外科学教室の助手となり、留学を命じられて渡欧。帰国後、東京大学眼科学教室主任教授に任じられ、以後33年間、日本の眼科を先進国の水準に近づけ、さらに発展させて、日本近代眼科の父と称される。