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しのはら むぜん
篠原無然肖像(新温泉町提供)
篠原無然生誕地碑(2018ふるさと特派員撮影)
聖人と呼ばれた社会教育者。新温泉町諸寄もろよせの出身で、本名は禄次。苦学しながら通った神戸の商業学校時代は、学業よりも修養書を読みあさり、寺院、教会などに通った。修養の場を求めて飛騨に入山し、僻地へきち・平湯ひらゆに代用教員として勤務。戸主会、青年会、処女会などの創設に尽力し、指導育成をすすめた。また、厳しい労働条件の飛騨女工たちを救済するため、工女組合を組織し、慰問活動などを行った。無然の名声は次第に広がり、東京や大阪でも社会事業、福祉事業の実態調査を依頼される。平湯へ帰山する際、安房あぼう峠で遭難し、36歳で命を落としてしまったが、今も「飛騨聖人」として人々に尊敬されている。
聖人と呼ばれた社会教育者。新温泉町諸寄の出身で、本名は禄次。苦学しながら通った神戸の商業学校時代は、学業よりも修養書を読みあさり、寺院、教会などに通った。修養の場を求めて飛騨に入山し、僻地・平湯に代用教員として勤務。戸主会、青年会、処女会などの創設に尽力し、指導育成をすすめた。また、厳しい労働条件の飛騨女工たちを救済するため、工女組合を組織し、慰問活動などを行った。無然の名声は次第に広がり、東京や大阪でも社会事業、福祉事業の実態調査を依頼される。平湯へ帰山する際、安房峠で遭難し、36歳で命を落としてしまったが、今も「飛騨聖人」として人々に尊敬されている。