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きょうごく きよう
神武山の句碑(2020協会撮影)
本名は高光。杞陽は俳号。1908年(明治41)、旧豊岡藩主家の当主として東京に生まれた。家督を継いで子爵に列し、式部官として宮内省に出仕。戦後は貴族院議員となる。関東大震災により生家は焼失し、姉1人を除いて家族をすべて失った杞陽は、留学中に出会った高浜虚子たかはまきょしに師事。戦後、豊岡で俳誌「木兎みみずく」を再刊し、句誌「ホトトギス」でも活躍。後に豊岡に帰ってからも俳句への情熱を燃やし続け、5冊の杞陽句集に収録されている句は9,996句、他に各句会に残ったものを入れると数倍にものぼるといわれている。豊岡市三坂町みさかちょう京極家宗廟に眠る。
本名は高光。杞陽は俳号。1908年(明治41)、旧豊岡藩主家の当主として東京に生まれた。家督を継いで子爵に列し、式部官として宮内省に出仕。戦後は貴族院議員となる。関東大震災により生家は焼失し、姉1人を除いて家族をすべて失った杞陽は、留学中に出会った高浜虚子に師事。戦後、豊岡で俳誌「木兎」を再刊し、句誌「ホトトギス」でも活躍。後に豊岡に帰ってからも俳句への情熱を燃やし続け、5冊の杞陽句集に収録されている句は9,996句、他に各句会に残ったものを入れると数倍にものぼるといわれている。豊岡市三坂町京極家宗廟に眠る。